ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

囲碁は人類にとって難しすぎたのだ

囲碁のことは「ヒカルの碁」を読んだくらいで全然知らないと言ってもよい。

人が囲碁を学ぶ時には、入門書を読んだり、うまい人から教わったりして学ぶはずである。完全に独学で学ぶには囲碁は難しい。仮に完全に独学で学んだ人がいたとしても、ちゃんと本を読んだり人から教わったりした相手には勝てないだろう。

強い人の打ち方を真似たり、強い人の打ち方に勝つための打ち方を編み出したりして囲碁は発達してきたのだと思う。それはある意味、進化に似ていて、過去の打ち方があってその上に変化がつき、それが積み重なって現代の囲碁の打ち方が出来ている(と推測する)

しかし、進化というものは万能ではなく、過去を切り捨てて最初から全部やり直すということが出来ない。囲碁もきっと何段階か前まで戻って検討しなおすということは出来ても、全部最初からなかったものとして定石を組み直すということは出来なかったのだろうし、相手が人間の間はそんなことをする必要性もなかったのだろう。

将棋は、囲碁に比べると、調べる手数が圧倒的に少ないので人間でもほぼ調査済みという気がする。

まあ、囲碁は人間が思っていたより奥が深かったということでしょう。AI? あまり関係ないんじゃないかな。