ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

読書感想:フィデリティ・ダヴの大仕事

図書館で借りた本。

女怪盗フィデリティ・ダヴの短編集。怪盗というか詐欺師の方が近いような気もするが、いろいろ盗んでいるので怪盗か。

フィデリティ・ダヴはとにかく美人らしい。そして天使のような微笑とか、聖女のような姿とか形容される。悪党から盗んで、寄付したりもするけど、自分の取り分は取り分として貰うタイプ。

手下というか仲間と一緒に、不必要とも思える程大掛かりな仕掛けで盗みを働く。

ただ、短編としては短い気がして、少し長さ的に物足りないという思いもある。

丁度12編の短編が掲載されているので、これはアニメにしたらよいのではないかと思う。若くて美人で大胆で、仲間と一緒に大掛かりな盗みをするってアニメ向きじゃないか。

 

フィデリティ・ダヴを知ったのは、エラリー・クィーン編の完全犯罪大百科と犯罪の中のレディたち。

 

 

 

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アニメ感想:現実主義勇者の王国再建記 から俺の共感性羞恥について

2021年のアニメ。

さて、エンタメ作品というものは多かれ少なかれ願望充足的な側面があるものだ。それがよいとか悪いとかではなく、問題は恥ずかしいと感じるかどうかである。ここでいう恥ずかしさとは、ネットでよく言われる共感性羞恥である。

俺ツエーは、確かに願望充足ではあるのだが、俺の願望というよりも、よくある誰かの願望である。

じゃあ、俺の願望は何かというと、「知識をひけらかして凄いと言われたい」というのがそれなのだ。そしてこのアニメがその願望を満たすようなアニメである。ただし、現代知識無双ではない。主に三国志(たぶん演義、もしかしたらゲームや漫画)の知識を使ってナーロッパで無双する話。

恥ずかしい。共感性羞恥で死ぬほど恥ずかしい。

俺はこの「知識をひけらかして凄いと言われたい」という自分の願望を自覚しているので、このブログでも隙あらば知識をひけらかしているのだ。

そしてこの願望ゆえに恥ずかしくて読み進められないのが、「数学ガール」なのである。これは願望充足小説ではないと思うし、作者には俺のような願望は微塵もないと思うのだが、おれには女の子を相手に自分の知識(や頭の良さ)をひけらかす話のように思えてしまうのである。作者は賢いのでちゃんとバランスを取るために主役よりも頭の良い女性も登場させているが。

そして、「数学ガール」が俺よりも頭の良い人間が知識をひけらかす話だとすると、このアニメは俺よりも頭がよいとは必ずしも言えない人間が知識をひけらかす話のように思えるのである。これはまた格別の恥ずかしさがある。

もっとも、なろう系にしてもラノベにしても願望充足小説の願望が作者の願望だとは限らない。初期はともかく、今ではこれらの小説は柳の下にどのくらいドジョウがいるか、綿密に調査して書かれているので、読者の願望ではあっても作者の願望ではないことが多いのだ。

さて、アニメに戻ると、このアニメで使われる知識は、三国志の知識だけではなく、現代知識だったり、マキャベリの君子論だったりと、様々な時代の様々な知識が使われる。統一感がないような気もするが、読者が誰も知らないような三国志の細かいところの知識を使っても、マニアにしか通じないのでやめておいたのかも知れない。

またこのアニメでは、現代知識を使ってこの世界の常識を迷信だとか偏見だとか言って否定して変革していく一方で、一夫多妻制度については、この世界の制度だから仕方がないと、いやいやながら複数の女を妻にするのであった。

それも、スケベ心は一切ないという顔をしながら、政略結婚なので仕方がないんだ、本当は望んでいないけれど、政略上必要だし、相手の女も俺に惚れているので、どうしても仕方がないので複数の妻を娶るのだ。

こういうところが実に共感性羞恥で恥ずかしいと感じてしまう。

アニメの1クールめで、戦争が終って2クールめは戦争の後片づけみたいな話で、特に重大な問題は発生していないのだが、このアニメのメインは知識をひけらかすことにあるので、緊急の問題はないが、ただ知識をひけらかすという感じになっているのも恥ずかしい。

ああ、恥ずかしい。恥ずかしい。

 

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創作:異世物語 8. 芥河

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昔、現代日本からこの世界に転移してきたおたく男がいた。その男とは結婚出来ない運命にあると分かっている相手であったが、男は一年以上も女のもとに通い続けてた。

今は許されて見張りも解かれているけれど、いつまた見張りが付くか分からないし、そうでなくてもいづれは帝のもとでお仕えするために女は去っていく。男は一度ループしてそれを知っているので、女と会っていても心が休まらなかった。

そこで男は一大決心をして、女と一緒に屋敷を逃げ出したのであった。愛の逃避行である。

たいへん暗い夜だった。芥河という河のそばを女の手を引いて早足で歩いていると、女が男に尋ねた。

「あれは何?」

男が見ると、それは草の上に溜まった夜露である。目的地までまだ先は長く夜も更けていたので男は応えずに先を急いだ。

男は知らなかったが、その付近には鬼が出るという噂があった。鬼はともかく、すごい神鳴りがして雨も激しく降ってきたところ、ちょうど荒れた蔵があったので女をそこに入れた。

男は蔵の戸口で弓矢を構えて番をした。追手に備えたのか、それとも人ならぬものに備えたのか。

そろそろ夜が明けるはずだと思いながら男が入口の番をしている時であった。

「ああっ」

女は叫んだ。鬼が突然蔵の中に現れて、女を一口で食べてしまったのだ。神鳴りの音が大きくて、男には女の叫び声が聞こえなかった。しだいに夜が明けて来たので、男が蔵の中を見ると、女の姿はどこにもなかった。

男はその場に崩れ落ちて泣いたけれど、もうどうしようもなかった。BAD ENDである。

白玉かなにぞと人の問いしとき露と答えて消えなましものを

女が「あそこにあるのは真珠か何かなの?」と聞いたあの時に、「あれははかない夜露ですよ」と答えて、二人ではかなく消えてしまえばよかったのに。

 

 

 

読書感想:アルキメデス『方法』の謎を解く

図書館で借りた本。2014年発行。

なかなか面白かった。

アルキメデスの「方法」の書かれた羊皮紙が発見されたり、失われたり、再発見されたりした物語と、そこに書かれている内容、そしてアルキメデスが時代的にどう優れていたのかということと、それでもその後の微積分の考えには至らなかった限界というか、過剰評価もあるという話など。

図形の面積や体積を求める話なので、数式はあるけれど、高校生程度の知識があれば理解できる本である。微積分を知らなくても大丈夫。

 

主に二次曲線を直線で区切った図形の面積、および二次曲線を回転して出来る図形を平面で切った形の体積を求める方法についての話。

その面積や体積がある値になるということの証明としての二重帰謬法という方法があり、これはアルキメデス以前から知られていたが、アルキメデスが改良し、一般化した。それは微積分にも繋がるような一般化であった。

ここでこの方法を使うには無限数列の和の公式を使うのだが、ギリシャ時代の数学者にとって数と面積や体積は別のものであり、無限数列の和と面積の和の極限はそのままでは同一視出来ないということのようだ。この壁をアルキメデス乗り越えたように見えるところもあるが、別の図形の面積や体積を求める時には乗り越えていないようにも見える。という話が面白い。

更に、「方法」のメインは仮想天秤とかいう方法で重心(や体積)を求めるという点である。これは数学的には疑問がある方法だとアルキメデス自身も理解していて、この方法で例えば体積の値を求めておいて、その後に先の二重帰謬法でその値が正しい体積であることを証明するのである。

これはいわば、タネあかしであり、厳密な証明だけからは分からない思考過程が分かるので、その後の数学の発展に大きな影響を与えてもおかしくはないと思うが、どうもその重要性はその時代には理解されなかったようで、せっかくのタネあかしも利用されなかったようだ。

そしてこの厳密ではない方法を使わなくても、数列の和を使うことによって解ける問題で、アルキメデスがこの方法を使っていることから、数列の和と面積や体積の違いを乗り越えていなかったように思えるということらしい。

私的な用語の違い:主観と客観と俯瞰、共通テスト複数回実施案を例に。

これは俺の私的な用語であって、他人が客観を「俺様の見方」という意味で使っても、俺は知らんし、俯瞰を「考える」程度の意味で使っても、俺は関知しない。

そこそこ多くの人が大学受験を経験しているし、そうでなくても受験生に同情的なので、ここでは、ひとりの受験生の立場で考えることを主観だとしよう。

特に共通テストの時に失敗した経験がある元受験生なら、複数回受験になれば、失敗したらもう一度受験できる、これはよいことだと考えるだろう。これは主観的な見方だ。それがよいとか悪いとかではなく主観であろう。

それに対して回数が増えたら経費が増えると考えるのは客観的であろう。その経費が受験料から取られるとは限らないと考えればさらに深い。授業料に反映されるかも知れないし、税金から払われるかも知れない。模擬試験も増えるのか、それとも減るのか。

試験する側の立場に立って、問題を作るのが大変だというのは、客観のように思うかも知れないが、それは相手の立場に立って考えるというやつで、これは客観とは少し違うと俺は思うのである。

ここで俺の考える俯瞰的(またはそれに近い)考えは、すべての受験生について考えるならば、すべての受験生が全員有利になるはずがないということである。単純には、1回のラッキーで高得点を取れた運のよい人がそんなに有利ではなくなるように思えるだろう。だがそれだけではない。大きな失敗をした人や、大きな不運に合った人がみんなその失敗や不運を避けられる。これは受験生全体で考えると、小さな失敗や小さな不運で差がつくということではないか。これが正しいかどうかはともかく、こんな風に考えるのが俯瞰的な見方だと俺は思うのである。

 

 

創作:異世物語 7. 人知れぬ通ひ路

創作:異世物語 目次 - ネギ式

 

昔、この世界に現代日本から転移してきたおたく男がいた。男には恋する相手の女が居たが、女は手の届かないところに行ってしまった。男はダメ元で「リセット、やり直し」と叫んだのであった。

そしたら、恋する女が居なくなる前に戻れた。やれば出来るものだなぁ。

そういう訳で、男は東の五条にいる愛する女のもとに超こっそりと忍んで通った。もちろん、門から入る訳には行かないので、土塀の破れ目からこっそり入った。それはおそらく屋敷の子供が習い事をサボって抜け出すために作った破れ目であろう。とても狭いところを苦労して通るのであった。

人に見られた覚えはないけれど、何度も通ったので見つかったのだろう。屋敷の主に知られてしまった。主はその破れ目に夜の間見張りを付けて不法侵入出来ないように守らせた。それで男は屋敷まで行ったけれど、中に入れず、女に会えずに帰ることになった。仕方がないので歌を詠んだ。

人知れぬわが通い路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ

誰にも知られずに愛する人のもとに通っているはずなのに、どうして見張りの人がいるのだろう。泥棒が入らないように見張っているのならば、私が通る宵の時だけは寝てしまって欲しいものだなぁ。

体は中に入れてもらえないので、頼み込んでその歌だけを女のもとに届けてもらった。女はもう男が通ってこられないと知って、すっかり気持ちが弱って悲しみ、何日も泣き暮らすのだった。

屋敷の主は、女の悲しみに同情して、男が通うことを許した。

 

 

アニメ感想:異世界スーサイド・スクワッド

出だしは良かったけど、尻すぼみというか、期待したほどではなかった。

なんと言っても、ミッションを達成していない。そもそもミッションの目的が明白でなく、期限もあいまいというのが問題である。

首に爆弾を着けていても、いくらでも期限が延ばせる(ようになってしまった)というのがヌルイ。

期限を延ばさず、72時間でミッション達成か爆死。それならもっとシャキッとした話になったろうに。ミッションにしてもよく分からない異世界の資源ではなく、聖剣または聖騎士の鎧を持ち帰るとか、ドラゴンの卵を持ち帰るとかにすれば、目的がはっきりしてよかったはず。

なんか2期に繋がりそうな終り方、というよりも、全然終ってなくてだらだら続く感じだが、あと1クールやったところで、異世界の資源なんてあいまいな目的ではどうにもならない。

ジョーカーが異世界征服するなら話は成立しそうだが、DCキャラとしては全員帰って来なければならないはずなので、そうも行かないだろう。

 

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姫がハーレイ・クインの化粧をするところは、まあよいエピソードなのだが、1クール全体のメインエピソードにするには弱い。こういうのはサイドエピソードだから光るのだ。

2期への欲望があったから、締まらない話になってしまったような気がする。ミッション物はミッション達成しないと欲求不満になるのだよ。