昔、現代日本からこの異世界に転移してきたおたくの男がいた。男はちょっと身分が高いがそこそこ平凡な娘に恋をした。はずだったが、娘はみるみるうちに美しくなった。
そのために、娘の親であり、また男が世話になっている相手でもある貴族は娘の将来を見据えて、大后様にお仕えさせることにした。大后様も貴族の親族だったからである。
おたく男は、これはちょっとまずいかも知れない、身分が違いすぎるかも知れないと思いながらも、まだ娘の立場が確定した訳ではないから問題ないはずだなどと自分を誤魔化しながら、大后様の屋敷の別棟に住んでいる娘のもとに通い続けていた。
恋心はもう止まらないのである。そして男が娘のもとに通うことを邪魔する者も居なかった。
だが、睦月の十日頃に通ってみると、もう娘はいなくて別のところに移されていた。いろいろと娘の居場所を聞いてみると、その場所は分かったけれども、身分の低い男が通っていくことはもちろん、手紙をのやり取りをすることも出来ないような、高貴な場所であり地位であった。男はただうじうじと悩むばかりであった。
うじうじと悩んでいる間に1年が経ってしまった。女を諦めきれないで、1年前に女のいた別棟を訪ねてみたが、誰もいない。梅の花が満開だったけれど、愛する女と並んで立って眺めた梅の花とも、愛する女と一緒に座って眺めた梅の花とも、ひとりで眺める梅の花はまったく違うのであった。
住む人も居なくて荒れた板敷きの間で、月が沈むまで横になって、愛する女と過ごした夜を思い出しながら歌を詠んだ。
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして
愛するあなたは生きているけれど手の届かないところに行ってしまった。月はもう見えなくなってしまった。あなたに会えないこの世界で、月の美しさに何の意味があるでしょうか。月など存在しないも同然です。あなたの居ないここで梅の花が咲いていても何の意味もない。あなたの居ない春などもう春とは言えないのです。それなのに、私だけは去年から変わらずひとりでずっとうじうじと悩み続けている。
もう耐えられない。リセットだ。やり直しだ。