年をとってくると昔の記憶がいい感じに曖昧になって、夢か現か幻かというようになる。そんな曖昧で矛盾した記憶をひとつ思い出したので書いておく。
たぶん大学を卒業して働き始めた頃の話。パソコンもワープロもなく、コピー機もなく、事務作業はたとえば罫紙に万年筆で起案書を書くというようなものだった。本当は事務作業がメインの仕事ではなく、車に乗って走り回ったりする仕事だったのだが、事務作業もあったというような仕事。
その仕事に使う万年筆も、卓上にペン立てがあって、そのペン立てと一体となっている万年筆だった。なんというか、万年筆のキャップがペン立てになっているというようなもの。万年筆の形も携帯用の万年筆みたいなずんぐりした形ではなく、つけペンのような長くて先の細いものだった。
今でもあるのか。キャップも付いてるのか。単に新卒で入ったところにはもうキャップが無くなっていたペンが置いてあっただけか。
書類を万年筆で書くのは、鉛筆書きだと修正ができるからと聞かされたが、塩素の匂いのするインク消しを使って修正していた。
まあ、大抵の書類は万年筆で書いていたのだが、ボールペンで書く書類もあった。それはたぶん役所から来た書類で既に印刷済みの書類にボールペンで書き込むというもの。油性ボールペンは修正できない(ボールペンの修正液は跡が残る)。
そのボールペンで書き込む書類の中に、連写する必要のあるものがあって、そういう時に、カーボン紙を挟んで書いていたのである。当時の記憶では連写する部分にカーボン紙がついた書類もあったが、なぜかその事務所で書き込む書類にはカーボン紙が着いていなくて、別にあるカーボン紙を挟んで連写していたのである。
で、連写する部分は一部なので、カーボン紙の使っていないところをうまく挟み込んで使うわけだが、もうだいたい使ったから新しいカーボン紙を使おうとすると、先輩が「まだこの部分に空きがあるから使える」などと言ってきて、「ケチケチすんなよ面倒くさいな」と思っていたのである。
そんなふうにして節約して使っていたカーボン紙なのだが、あるとき、全部廃棄に回すことになった。PCBが含まれているというのである。いや、PCBが含まれていることは分かっていたのだが、新しく製造することが禁止されていただけで、既に製造済みの製品は普通に使えていたのだ。それが製造済みの製品も使えなくなったのである。
「あんなにケチケチ使っていたのに、全部捨てるのかよ」というのが私の感想であり、その感情でこの出来事は強く記憶されている。
というのは記憶の捏造であり、Wikipediaを調べると、PCBが含まれていたのはノンカーボン紙というカーボン紙とは別のもの。記憶していたカーボン紙は黒くてまさにカーボン紙だったが、ノンカーボン紙も少し記憶していて、それは白い紙だった。白い紙なのに挟んでボールペンで書くと黒く(青く)複写できるという面白い現象を記憶している。本物のカーボン紙は使ったところが見えるけど、たぶんノンカーボン紙はどこを使ったのか見えにくいと思うので、ケチケチ使っていたのはカーボン紙だと思う。
カーボン紙は廃棄する必要がなかったはずで、つまり、この記憶はおかしいのである。
注:罫紙というのはレポート用紙みたいなものだが、その事務所で使っていたものは、大学時代に使っていたレポート用紙よりもずっと薄くて安そうな紙だった。