ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

読書感想:たいこもち(幇間)の生活

図書館で借りた本。昭和57年発行。

資料性が高い本であるが、たいこもちに関することがあまりまとまりなく書かれている。ページ数が多いのは、たいこもち列伝の部分と、たいこもち親子二代の部分かな。

www.yuzankaku.co.jp感想もまとまりがないが、俺の意外に思ったことなどを書くと、女たいこもちがいたこと。だいたい、たいこもち自体が男芸者と呼ばれるくらいなんだから、女たいこもちというのはいないと思っていたのだが、この本によると古くは宝暦の末頃からたいこ女郎というものがいたらしい。そして昭和の初めにアメリカ生まれのバージニアという女性が大阪でたいこもちをして江戸っ子気質で評判を取っていたという(情報量多い)。この本の書かれた時点でも、揚羽家十世子という女たいこもちがいたらしい。

また、これも俺は知らなかったけれど、たいこもちは(ある程度客の信用を得ると)客の財布を預かるらしい。宴会の幹事役というところだろうか。料理や酒を頼むのにいちいちお大尽が財布を出して支払う訳もなく、ある程度たいこもちの判断で酒を料理を追加したりするのだろう。

ということで、たいこもち心得というものがある。その中にお金を使い過ぎてはいけない、とか酒を飲ませ過ぎてはいけないなんてことが書いてある。まあ、心得なんてものは守られていないからこそ説かれるものかも知れないが。面白いのは、野暮なお大尽こそたいこもちの活躍する相手であって、野暮を笑うべきではないとある点だ。花柳界に馴れていないお客に、お座敷遊びの遊び方をうまく教えて盛り上げることこそたいこもちの役割ということらしい。そういう野暮な客がやがて贔屓筋になるのだろう。

これも俺は知らなかったのだが、たいこもちから落語家になる人は結構いたようである。それだけでなく、たいこもちと落語家を往復する人もいたようだ。いくつか例が挙げられているが、明治の好不況と遊廓禁止令の影響のようである。

そしてこの本の主な内容のひとつたいこもち列伝では、やはり最初の二朱判吉兵衛が面白い。二朱判というのは渾名であり、中二病的に言うと二つ名。小柄な吉兵衛を小さいのに価値が高い金貨である二朱判金になぞらえてそう呼ばれたようだ。

医者が本業だと書かれているが、たいこ医者かも知れないとこの本の筆者は書いている。ともかくたいこもちとして評判が高い。そしてたいこもちの芸として役者の真似がうまかったという。当時の歌舞伎役者中村伝九郎の真似が特にうまかったそうだ。そして著者の想像では、贔屓筋におだてられて、歌舞伎役者になったのではないかという。

たいこもちから歌舞伎役者になったのである。最初は立役で、その後道外役になり、道外役として名を上げたようだ。しかし、おなじく歌舞伎役者になっていた息子の死を契機に役者をやめてたいこもちに専念するようになったという。

そしてこの二朱判吉兵衛の作と言われる(広めただけとも)大尽舞の歌詞が2ページに渡って掲載されている。廓の始まりとか太夫の始まりとか遊廓関連の縁起由来を歌っている。

他には幕末のたいこもち、松廼家露八が面白いが、吉川英治が小説にしている。これは漫画にしても面白そうだ。本名土肥庄次郎。幕臣の長男で、槍術の免許取得、剣術、砲術、水泳術を学び武士道の研究をする。槍で評判となり金が入ったので吉原で遊び、幇間芸妓を挙げて、家に帰ってもその真似をする始末。弟が家を継ぐことにして、勘当される。勘当されたので吉原でたいこもちになる。勘当の身でもたいこもちは許さんと、親から切腹を命じられる。切腹する瞬間、介錯人が髷を切り落として、これで死んだことにして庄次郎は頭を丸める。江戸払いだけで済んだ。長崎まで行ってたいこもちをする。長崎で蛤御門の変を聞き、佐幕派として国のために尽くしたいと武士に戻る決心をする。親も心がけがよいとこれを認める。やがて彰義隊に参加し東叡山に立てこもる。函館に行く予定が軍艦が台風で流されて行けず、その結果官軍の処罰を逃れたので、吉原でたいこもちになる。

たいこもちの芸という章では、いくつか芸が紹介されているがこれだけ読んでも面白くない。唄と踊りの元になるものがあって、それのパロディ的な唄と踊りをやるのが芸のようだ。最後にオチがある。

この本のたいこもち列伝と並ぶもうひとつの重要なパートが「たいこもち親子二代」の章。これはこの本の著者が三代目桜川善平から聞き取ったことが書いてある。聞き取り文とでもいうべきか、インタビューとは違うが、語り手の口調で書かれている。これは吉原のたいこもちではなくて、町場のたいこもち、町だいこである。

二代目の方はお座敷で「ぶすっとして、お世辞をいうわけでなく、いってみりゃあ無愛想でしたね」という。これまで読んできた話と違うじゃないか。

三代目は八歳からたいこもちの半玉として座敷に出たらしい。夜の仕事なので子供の三代目はしばしば座敷の途中で眠ってしまったようだ。たぶん、それも愛嬌ということなのだろう。

三代目の話の中に藤八拳が出てくる。これはwikipediaなんかにも書かれている狐拳だが、それ以外に中国伝来の最初の形の「本拳」や「薩摩拳」「箸拳」「片拳」「盲人拳」「取り上げ拳」「源平拳」「虫拳」「交ぜ拳」「虎拳」「太平拳」「相場拳」「匕玉拳」「柳拳」「歌拳」が紹介されている。「歌拳」は歌に合わせて拳を打つとあるので、野球拳の元みたいなものだろう。「匕玉拳」は拳玉と同じと書いてあるけど、それだと他の拳とは違うのではと思ったが、けん玉の歴史のサイトに酒席の遊びとあったのでやはり拳玉のことのようだ。

www.gloken.netそして、この本の最後には唐突に「遊廓事情 通客必携 道楽娯士著」という本が付録で付いている。冒頭から明治二十一年七月十日出版の奥付までそっくり掲載されている。

ともかく情報量が多く、資料的価値が高い本であった。出来れば手元に置きたいが、古本で買ったら高いだろうなぁ。(そうでもなかった、とりあえずパス)