これは俺の私的な用語であって、他人が客観を「俺様の見方」という意味で使っても、俺は知らんし、俯瞰を「考える」程度の意味で使っても、俺は関知しない。
そこそこ多くの人が大学受験を経験しているし、そうでなくても受験生に同情的なので、ここでは、ひとりの受験生の立場で考えることを主観だとしよう。
特に共通テストの時に失敗した経験がある元受験生なら、複数回受験になれば、失敗したらもう一度受験できる、これはよいことだと考えるだろう。これは主観的な見方だ。それがよいとか悪いとかではなく主観であろう。
それに対して回数が増えたら経費が増えると考えるのは客観的であろう。その経費が受験料から取られるとは限らないと考えればさらに深い。授業料に反映されるかも知れないし、税金から払われるかも知れない。模擬試験も増えるのか、それとも減るのか。
試験する側の立場に立って、問題を作るのが大変だというのは、客観のように思うかも知れないが、それは相手の立場に立って考えるというやつで、これは客観とは少し違うと俺は思うのである。
ここで俺の考える俯瞰的(またはそれに近い)考えは、すべての受験生について考えるならば、すべての受験生が全員有利になるはずがないということである。単純には、1回のラッキーで高得点を取れた運のよい人がそんなに有利ではなくなるように思えるだろう。だがそれだけではない。大きな失敗をした人や、大きな不運に合った人がみんなその失敗や不運を避けられる。これは受験生全体で考えると、小さな失敗や小さな不運で差がつくということではないか。これが正しいかどうかはともかく、こんな風に考えるのが俯瞰的な見方だと俺は思うのである。