ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

反哲学的考察:私と人間の絶対的特殊性

人間性がないので増田に書けなくなってしまったので仕方なくブログに書く。3問以上正解って表示されているのに書けないのは、ブラウザが悪いのか、バグなのか。

私という人間は、私しかいないので、唯一無二であり絶対的に特殊な存在である。それ故に、私と他人の比較は無意味であり、私が他人より優れているとか劣っているとか考えることにも意味はない。私が判断することが出来るのは他人同士を比較してどちらが優れているとか劣っているとかいうことであるが、それにも意味がないというように考えることも可能ではある。

その特殊性故に、私が内省によって考えたことは、せいぜい私だけに適用されるのであり、人間一般の性質などではない。これが反哲学と題した理由である。もちろん、私の考えが間違っていて、私の理論は私にすら適用できないという可能性もある。

これは唯我論ではない。私がいなくても、他人は存在しているし、客観的宇宙も存在している。

同じ様に、私が人間であることによって、人間という動物は絶対的に特殊であり、他の動物よりも優れているとか劣っているとかいう比較は意味がない。

他人はどうあれ、私は暴力によって問題を解決したくない。そんなことをしても負けるからという理由もある。しかし、他人同士が暴力によって問題を解決することを否定するのはこれとは別の話である。どちらかと言えばそういう考え方をしているが、当事者同士が納得の上で暴力で解決ならいいじゃないかという気もする。法律はまた別の話である。法律は守られるべきである。正確に言えば、私以外の人間は法律を守るべきだ。私は基本的には法律を守ったほうが社会生活を送る上で都合が良いので法律を守るけれど、必要があれば法律を破ることもあるだろう。

などと言っていても、他人から私を見ればクソ真面目な人間に見えるだろうと思っている。実社会ではネットよりも大人しくしているし。

人間について人間が考えたことも、人間の絶対的特殊性によって人間以外の生物には当てはまらない。特に、人間がこうあるべきだと枷をはめるのは、(私は賛成しないが)人間の勝手であるが、それを人間以外の生物に当てはめることは出来ない。人間がこうあるべきだなんていうことは、人間社会の統治上の都合に過ぎないと私は思っている。

特に他の生物をきちんと観察していない人間が、人間がこうだから他の生物もこうに違いないと断定することは問題だ。安易にそういう考えになることは、という存在の絶対的特殊性を無視して、人間一般について結論を出す哲学者と同じことである。

そうは言っても、他人や他の生物を知る方法がまったくないという訳ではない。他人について知りたければ他人を観察すればよいし、他の生物について知りたければ、他の生物を観察すればよい。もっとも、知ることが出来るのは観察した対象だけであり、観察していない対象については何も知ることが出来ない。

書物による知識は、基本的には著者によって、過度に一般化されている。統計的手法によって得られた結論を否定するつもりはない。そうではなくて、極めて少数の主観的観察結果から、一般的な結論が導かれている書物が多い。たとえば、過去から未来に渡って出版されるすべての自己啓発本などがそうであろう。

書物を読むときには、そこに書かれていることは、著者の主観であるという前提に立つ必要がある。特に、書物が何らかの結論を示している時には、その結論は著者の主観であり、過度に一般化されている可能性が極めて高い。結論よりも、その結論に至る論証の方が参考になる。

このことは、もちろん、このブログ記事にも当てはまる。