ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

ラップを聞くにはラッパーの耳がいる。読書感想:言語学的ラップの世界

「妖精を見るには妖精の目がいる」のパクリですが。

この本「言語学的ラップの世界」の言語学の部分を要約すると、日本語ラップの韻は母音の一致でなされるが、母音だけでなく子音も似ている子音が使われる傾向がある」ということである。

これで、納得した。俺はラップが分からないと思っていたが、それもそのはずである。俺は母音の一致だけでは韻を踏んでいるように聞こえないのだ。たぶん俺だけでなくラップがわからんとか嫌いだという人の中には、母音の一致だけでは韻を踏んでいると聞こえない人が少なからずいると思う。

日本語ラップを聴くように訓練された耳でもって、初めて母音の一致だけで韻を踏んでいるように聞こえるのではないか。ラップを聞くにはラッパーの耳がいるのだ。

芸術というものは多かれ少なかれそういうものであり、クラシック音楽にしても、西洋の絵画にしても、それを鑑賞するには知識と訓練された耳や目が必要なのである。漫画だって漫画のお約束を理解していないと訳が分からない部分がある。

つまり俺の感想は著者の発見の逆で、似ている子音を使わなくても韻を踏んでいるんだなあということである。この似ている子音という概念は、駄洒落を考える時に半ば無意識に気づいていて、駄洒落にするにも子音が似ている必要があるのだ。そうでないと無理矢理感が強くなってしまう。

なお、この本の「言語学的」な部分はほぼ要約部分で終わり、その他には著者のエッセイ的な文章と、著名ラッパーのMummy-D, 普平太, TKda黒ぶちのインタビューである(著名かどうかわからないしあが聞き手)。俺はこの人たちを知らないが、ラップ好きにとってはこのインタビューだけでこの本を読む価値があると思う。