おたく男は事例研究などと言ったが、すぐに嗜好をあらわにして「幼なじみ萌〜」と口にして、趣味的に事例収集するのであった。現代日本から転移してきたおたく男には、もちろん、この世界に幼なじみはいないのである。
井戸の周りでその近所の子供たちが遊んでいたものだが、その子供が大人びてきた。一緒に遊ぶのは恥ずかしいと感じるようになった。男の方はこの時遊んだ幼なじみと是非結婚したいと思っていた。女の方も相手の男をずっと思い続けていて、親が別の男を勧めても聞かないでいた。男から女に書いた歌は
筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
丸い井戸の周りの囲いと同じくらいだった私の身長も、あなたに会わない間にずいぶん伸びて大きくなりましたよ。立派になった私をお見せしたい。結婚して下さい。
受け取った女が返した歌
くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき
あなたと比べあった振り分け髪の長さも、肩を過ぎました。あなた以外の誰のためにこの髪を上げて成人しましょうか。結婚しましょう。
と言って、二人は望み通り夫婦になった。
しかし、何年かすると女の親が亡くなって貧しくなってしまった。夫婦とも収入のあてもなくていれられるだろうかと、男は不安になった。そして河内の国高安の郡の女の元に通うようになった。
そうそうこのパターンだとおたく男は思った。ライバル登場である。幼なじみ萌にはライバルの存在が欠かせないのだ。子供の頃からただずっと好きなだけでは物語にメリハリがない。
別の女の元に通い始めたのに、幼なじみの妻は怒りもしないで男を送り出した。それなので男は逆に妻を疑って、妻の方にも男が出来たのではないかと、河内に行ったような振りをして庭の植え込みに隠れて見ていると、妻はきれいに化粧をしてもの思いにふけって歌を詠んでいた。
風吹けば沖つ白波たつた山夜半には君がひとりこゆらむ
風が吹いて波が立ちますが、その風の吹く恐ろしい竜田山をあなたは夜中にひとりで越えて行くのですね。どうかご無事で。
この歌を聞いて、男は妻が限りなく愛しいと思えて、河内高安に行かなくなってしまった。
幼なじみ妻の勝利である。
久しぶりに男が高安に様子を見に行って、こっそり覗いてみると、そこの女はご飯を自分で器によそっていた。男が通っていた時は、取り繕って侍女にやらせていたのに、自分でよそうとは高貴な生まれではなく、(親が)成り上がり者であるようだと男は思い、醒めてしまい、もう二度と高安には行かなくなった。
女は男が来ないので大和の方を見て歌を詠んだ。
君があたりを見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも
あなたがいるあたりを見ながら座っていましょう。雨が降っても雲で生駒山を隠さないで下さい。
この歌を贈ると、大和の男は来ると言った。喜んで待っていたがなかなか来ないので読んだ歌。
君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの戀つつぞふる
あなたが来ると言った夜ごとに待っていたけれど、来ないのでもう来るとは思っていないけれど、それでも恋しながら時間が経って行く。
と言ったけれど、結局男は高安の女の元には行かなくなった。
ちょっと高安の女が哀れではあるが、幼なじみの完全勝利という演出である。