平安時代風異世界に転移してきたおたく男も少しずつこの世界の恋愛に慣れてきたのであった。
通って共寝をする女が出来て、お互いに深く愛し合って脇目も振らない様子であった。そのはずなのに、何があったのか、女は些細なことでおたく男との交際が嫌になったようだ。男が訪ねてくる家を出て行こうと思って、つぎのような歌を詠んで紙に書いたのであった。
出て去なば心軽しといひやせむ世のありさまを人は知らねば
男の訪れる家を出て行ったならば、軽率な女だと人は言うでしょうね。おたく男との暮らしの煩わしさを人は知らないのですから。
女はそう歌を詠んで出て行ってしまった。
おたく男はこの世界の恋愛には慣れてきたが、日常生活ではやはりおたくなので、細々したことにこだわったり、逆にずぼらだったりと問題があったのだ。
男は自分の問題点にはまったく気付かずに、女がどうして出て行ったのかまったく分からずに途方に暮れてしまった。どこに行ってしまったのかと門を出て見回してみたけれど、どこに行ったのか見当もつかないので、また家の中に戻ってきた。
思ふかひなき世なりけり年月をあだにちぎりて我や住まひし
お互いに愛し合っていると思っていたのに、そんな風に思う甲斐のない二人の仲だったのか。長い間愛のないセックスをして一緒に過ごしてきたのだろうか。
と言って、ぼーっと何かを眺めていた。
人はいさ思ひやすらむ玉かづら面影にのみいとど見えつつ
あなたは私のことを思い出してくれるのだろうか。私はあなたの面影を思い出してばかりいますが。
おたく男はまだまだ恋愛上手とは言えず、生活態度を改めて関係修復を図るという考えには至らないのであった。そしてまた、あなたなしでは生きて行けないという強い愛情を示すこともなかった。そういう強い感情は最初の恋愛で「月やあらぬ」と詠んだ時にすべて出し切ってしまったのである。
随分立ってから、女は男の方から二人の関係を修復するために何もしてくれないことに我慢できなったのだろうか、歌を送ってきた。
今はとて忘るる草のたねをだに人の心にまかせずもがな
あなたがそうやって現実の私と関係修復するのではなく、いつまでも美化された私の面影に浸っているならば、私のことは忘れてくださいとは言わずに、そのまま私の幻をいつまでも覚えていてくださいと言いましょう。
前の歌は女に送った訳ではないので、本来なら伝わっていないはずであるが、この異世界では歌に詠んだことは相手に伝わるという魔法のような仕組みがあるので、なんとなくでも伝わるのである。
おたく男が返した歌は
忘れ草植うとだに聞くものならば思ひけりとは知りもしなまし
私が忘れ草を植えてあなたのことを忘れようとしたと聞いたならば、私がわざわざ忘れ草を使ってまで忘れる必要があるほど、あなたのことを強く思っていたと知ったことでしょう。
これは歌の返しとしてしてはうまいが、男女関係の修復としてはまずい手であり、和歌おたくのやらかしと言えよう。
おたく男は返歌を送った後で、やらかしに気付いて慌ててもう一首送った。
わするらむと思う心のうたがひにありしよりけにものぞかなしき
私があなたをそのうち忘れるかも知れないという自分に対する疑いが出てきて、以前よりも悲しいのです。
返歌とは矛盾するけれどもそこはとぼけて、相手を責めずに自分を責めるように変えたのである。
女の返歌は
中空に立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな
空に広がる(入道雲のような)大きな雲(のように愛し合ったこともありましたが)、その雲が跡もなく消え去るように二人の関係は終ったのです。私の身も、つまりあなたを思う気持ちもすっかり空っぽになりました。(恨みっこなしで別れましょう)
関係修復には失敗したけれど、やらかしはなんとか修正して恨みっこなしまで戻したということである。