ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

考察:世界中のネットユーザーがweb広告を嫌っているなら、それはむしろビジネスチャンスではないか。

極一部の例外的な例外を除いて、世界中のありとあらゆるネットユーザーが、心の底からweb広告を憎んでいるという事実がもし存在するならば、それを憂慮するべき事態と考えるよりも、それこそ大きなビジネスチャンスだと考えた方がいい。

特に巨人Googleが自ら死を選ぶような検索広告をやっている今はまさにGoogleを超えるチャンスである。広告配信会社(DSPとかSSPというらしい)にとってのチャンスということである。

これは俺の妄想であると、まずは言い訳をしておく

そんなことは、俺にとっては明白なことだが、なにかと批判されがちなネット社会であるから、言い訳は必要なのだ。俺はネット広告のことなどまったく知らない泡沫ブロガーだが、だからと言って妄想を書き散らしてはいけないということはあるまい。実際、日々妄想を書き散らしているのだし。

ネット広告のことは専門家に任せた方がよいという考えは、実にもっともであるが、この泡沫ブロガーが言うに事欠いて、世界中のありとあらゆるネットユーザーが、心の底からweb広告を憎んでいるなどと言い出す現状を作り上げる上で、貢献はしていても妨害はしていないのがまさにそのネット広告の専門家たちであろう。任せてはおけないのである。

今日の俺は昨日の俺ではない

人間は時々刻々と変化しているし、その興味の方向も時々刻々と変化している。昨日の俺が関心を持っていたものに今日も関心を持っているとは限らない。ひとつの例としては、昨日関心のあった商品は昨日買ってしまったので今日はもう関心がないということがある。

そして時々刻々というのは、まさに時刻によって関心が変わるということであり、俺が夜の11時に関心を持っていることと、俺が朝の8時に関心を持っていることは違うのである。

ユーザーの行動をターゲットにした広告は、いかにも効果がありそうだが、この事実に対応していない。あるいは、十分ではない。平日休日祝日を考慮して時刻も含めて完璧なユーザーデータを取得して解析すれば、あるいは意味のあるターゲット広告が打てるかもしれないが、それよりもっとよい方法がある。

俺が今関心を持っていることは、俺が今読んでいる記事であり、俺が今見ている動画である。それは確実だ。まあ暇つぶしに読んでいる(見ている)こともあるが、それでも多少は関心があるから読んでいる(見ている)のである。

広告はユーザーに合わせるよりも、記事内容に合わせた方が効果が高いはずである。

そうするとステルスマーケティングが流行るだけと思うかもしれない。確かにその可能性はあるが、それはこの記事のテーマではない。この記事はいかに効率的に広告を配信してビジネスとして成功するかということである。ステマステマで法規制すればよい。

ユーザーデータを使わないということは、そのデータを持たない新興の広告配信会社でも十分にGoogleに対抗できるということである。チャンスなのである。

広告の効果はコンテンツに対する広告の比率に依存する

反比例というのは厳密な意味があるので言い過ぎだが、広告の比率が少ない程、その広告は目立つ。一つの記事に一つの広告が一番目立つ。二つなら広告の効果は半分未満になる。これは特に根拠のない俺の主張だが、最大でも半分と考えるのは妥当だろう。それよりも少ないというのが俺の考えである。そんなことはなく、ちょうど半分(n個なら1/n)またはそれ以上という論拠があるなら示してほしいものだ。

記事が5000文字(+写真数枚)なら、それを何ページに分割しても、その記事は5000文字(+写真数枚)の価値しかなく、それに相当する広告は一つの場合が最大の効果であり、それ以上の広告は個々の広告も、それを合計したものとしても効果が増えることはない。

記事が十分に長い(ちゃんと充実している)ならば、適切なページ分割とページ毎の広告も広告効果を減らさない可能性がある。たぶん、コンテンツに対する広告の比率がある範囲以内であれば、広告の効果が下がらないのではないかと思う。

この比率は広告の個数だけでなく、記事の面積に対する広告の面積の比率にも当てはまる。とは言え、面積が極小ではさすがに広告効果は低いだろう。記事面積の1/3以上で大幅に広告効果が低下するというのが俺の個人的な意見である。

ここで言っているのは広告の効果、価値ということである。広告配信会社はこの価値に基づいて報酬を支払うのがよい。一つの広告の時に広告料が最大で、多数の広告を貼れば広告料が減るという契約にするのである。

この広告効果を広告主にどうプレゼンするかという問題はあるが、それは広告配信会社の腕の見せ所であろう。

だらだらと長いだけで内容がない記事が増えそうだが、そいう記事はアクセス数を稼げないので、やはり広告収入は減るだろう。

コンテンツの形式と広告の形式が一致していると広告効果が高い

文章と写真の記事を見ているときに動画広告が出ても邪魔なだけである。俺なんてふだんは音声を切っている。動画コンテンツには動画の広告、文章と写真のコンテンツには文章と(動かない)画像の広告が合う。

これは先の広告の個数とも関連があって、つまり静止画像n枚分の情報を次々に表示するような広告は、静止画像1枚の広告のよりも効果が低いと俺は考える。情報を一度に表示できる大きな広告の方がまだ効果が高い。

広告配信会社が広告のサイズだけで広告出稿者からの料金を決めるのではなく、サイズと変わる画像の数を掛けて料金を取るべきだ。だが広告効果について出稿者を説得できるなら画像は変化しない1枚絵の広告にすることを薦めた方がよいだろう。

クリック報酬型の広告は、リンク先に誤クリック報告ボタンをつける

誤クリック報告された場合はクリック報酬は支払わない。この場合、わざと誤クリック報告をするというイタズラが考えれるが、そういうイタズラをする人が商品を買うわけでもないだろうし、無視していいだろう。

課題

これをビジネスとして行う上での課題は、個々の広告に対するアクセス数自体は減るのに広告効果が上がるからと説得して、広告主から今までと同じまたはそれ以上の料金を取る必要があること。

そして、広告掲載サイトに対しても少ない広告で、これまでと同じかそれ以上の報酬を支払うこと。

この二つが出来なければならない。広告主から十分高い料金を取れれば報酬を支払うのは出来るだろうから。最初の部分が本質的な課題である。最初は口のうまい詐欺師をつかうのがよいだろう。俺の理論が正しければ、実際の商品の売上に繋がり、それ以後はうまく回るはずだ。

俺の主張に根拠がないと思う人は研究者に向いている

俺の主張が正しいかどうか、社会科学的手法を用いて実験してみよう。卒論のネタくらいにはなるだろう。うまく行けば修論、博論に繋がるかもしれない。社会科学的手法をうまく使えば、好きなように結論を出せるだろう。

俺の主張にはすでに反証があって、論文になっていると思う人はかなりの研究者である。すでに修士か博士になっているかその過程(課程)にあるだろう。だが、俺の反証となる論文の実験は追試されているだろうか。いわゆる再現性のない実験ではないだろうか。追試してみたら俺の主張が正しいことが分かるかも知れない。追試して再現したではインパクトが弱いが、社会科学的手法をうまく使えば、インパクトのある結果を導くことも可能だろう。

さあ、俺に騙されたつもりで広告配信ビジネスをしよう

賢明なる読者諸君は既にお気づきのことであろうが、このブログ記事に書いたことは、俺にとって都合のよい広告のあり方である。だから、俺自身が広告配信会社を作らなくても、このブログを読んだ読者がここで書いたような広告配信事業をやって大儲けしてくれていい。それでweb広告が俺の望むような形になれば俺は満足である。ともかく、世界中のありとあらゆるネットユーザーが、心の底からweb広告を憎んでいるなどと俺が考えしまうくらいひどいネット広告の現状が改善されれば俺は満足なのである。

もちん、大儲けした後で(もいいし前でもいいが)俺にどうしても金を払いたいというなら、受け取りを拒否するつもりはない。

 

 

どちらも読んでない上に、趣旨に反して2つもアフィリエイト商品を貼ってしまった。更にはてなの広告も付くのに。