たまたまプラネテスと鬼滅の話がはてブにあったので、アニメのリアリティについて考察してみる。
b.hatena.ne.jpアニメやマンガにリアリティを求める必要はない。しかし、一部のリアリティを褒めるなら、別の部分のリアリティが気になるのは当然であろう。ブコメではリアリティレベルの統一とか書いたけど、まあ、統一は難しい。個人的にはアニメ一般についてリアルな背景を褒めすぎという印象がある。労働力をかけたリアリティと頭を使ったリアリティというのがあって、調査や背景作画の労力を使ったリアリティよりも、私としては頭を使ったリアリティを重視したい。アニメの労働環境的にも。そういう意味では、頭を使えば、労力なしでリアリティを上げられる鉄道の線路は頑張って欲しかった気がする。(頭を使う方が労力をかけるより難しいのだとは思うが)
b.hatena.ne.jpこれも、そもそも野田司令がプラネテスを今ごろ見たとすれば、こんな記事を参考にしたと思われるわけで、そりゃあこの記事を見てからプラネテスを見たらがっかりするだろう。
b.hatena.ne.jpフィクションだから何でもありという説もあるが、リアリティを売りにしているフィクションならリアリティの問題を指摘されても仕方がない。誰もが宇宙に行ける時代の話だからという説もあるが、誰もが建機を使える時代だったら、危険な建機操作が許されるかというと、それはギャグ作品ならともかく、シリアスなものならやはり問題にされるだろう。誰もが宇宙に行ける時代というのは、誰もが宇宙での危険性について学習した上で宇宙に行ける時代のはずである。
いや、別にリアルでないことが問題なのではなくて、もともとリアルでないのだが、一生懸命調べて調べた結果を描いたそれっぽいリアルと、第一に危険性を考えるような本物のリアルでは違うのである。しかし、批評というか作品を褒めるときに、それっぽいリアルを本当のリアルのように褒めるので、みんな騙される。が、専門家はリアルと聞いて観たのにリアルではないと感じるのである。いや、フィクションはそれっぽいリアルでいいんだけど、あくまでもそれっぽいリアルであることを心の底で押さえておいて、人に勧める方が良いと思うのである。(まあ、勧められた側も、作品を薦める側がかなり偏っているという前提で受け取るべきではあるが)
作者がどこまでリアリティを売りにしているかというのはちょっと分からない。ファンが勝手にリアリティがあると褒めているだけという可能性もある。
話は変わるが、私がこの手のリアリティで最も素晴らしいと思うのは、ガルパンである。ガルパン1話の最後の学園艦で、この作品のリアリティに関する姿勢がはっきり分かる。カーボンコーティングは言葉だけなので、言葉による説明になってしまうが、学園艦は映像としての力があるので、この世界はリアリティのない世界なんだということがここではっきり示されるわけだ。巨大学園艦の馬鹿馬鹿しさが、なんでもありと示している。
もちろん、「この作品はフィクションであり云々」という注意書きがあろうがなかろうが、フィクションはフィクションなんだけれど、「この作品はフィクションであり云々」というのを映像として示したのが学園艦だと思うのである。映像作品なんだから注意書きも映像で示してくれるのはありがたい。