ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

アニメ感想:どろろ(2019)

3月くらいにdアニメストアの見放題に入ってからちょっとずつ見ていたのだがようやく見終わった。

原作にしてからが、なかなか難しい漫画なのである。

実は、原作はちゃんと読んでいなくてたぶん床屋とかで話の順序もバラバラに読んだもの。昔のアニメも全部は見ていないというかそんなに見ていないような気がする。

今回のアニメは前半はすごく面白く見ていたのだが、後半からはなんかそうでもない気がしてきた。百鬼丸の体を取り戻す話とどろろの宝探しの話という点からすると、どろろの話は余分だったのではないかという気がする。手塚治虫といえども。

宝探しというのは宝を探すのが面白いのであって、宝探しの巻き添えになるのでは面白さが半減する。どろろには宝探しをする強い動機もないし。

前からそうだったのか覚えていないが、今回は妖怪というよりも鬼神という形であり、願いを叶える存在とう立場が強いように思えた。百鬼丸が体を取り戻すと、醍醐の国に日照りが起こったりする。その中で、百鬼丸が俺の体を返せ、それは俺のものだと主張する点に、私は強く共感を覚えた。これは人間の権利の主張なのである。

まあ、百鬼丸の言うことでも「新しい義足をくれ」というのは自分勝手な主張だが、「体を返せ」というのは妥当な主張であると感じる。

一方のどろろの宝で新しい国をつくるというのは、甘い理想であって、金があることが分かったら盗賊に襲われるだろうし、百姓だけで作った国が豊かなら、周りの国が領土に加えようとするだろう。それに百姓の合議制が単純にうまくいくとも思えない。

それは醍醐の国も同じことで、鬼神の力で天災から守られていても、戦国時代なのだから豊かな国ならやはり周囲の国から襲われるだろう。小さなひとつの国(領土)だけ豊かでいることは難しい。百鬼丸の体さえ鬼神の生け贄にすればそれで済むとは思えないのである。

それから、このアニメで不満なのは、どろろが女っぽいところ。原作でもあったような気がするが、このアニメではラストも含めて強く表現されているように思える。俺の中のどろろはもっと強(したた)かな子供なんだよなぁ。

 

(なぜかamazonの1話が貼り付けられない)

animestore.docomo.ne.jp