「私、ゾンビになったみたい」と存美(あるみ)さんが言った。
存在自体が美しい存美さんが、ゾンビの訳がない。
「哲学的ゾンビなの」
「なにそれ?」
「クオリアがないのよ」
「なんだか知らないけど、俺もそんなモノ持ってないぞ」
「じゃあ、二人とも哲学的ゾンビなんだ」
「そうだったのか、今まで気づかなかったよ」
「こんな事してる場合じゃないわ」
存美さんが言うには、ゾンビならゾンビらしく行動しなければならないという。それは何かというと人間を食べることらしい。
「人間を襲わないなんて、ゾンビとしての存在理由にかかわる問題だわ」
確かに、俺の知る限りのゾンビはみな人間を襲っている。ゾンビならゾンビらしく行動しなければなるまい。
「じゃあ、人間を襲うか」
「だめ、人間のように見えてもゾンビかも知れないわ。私だって昨日まで自分が人間だと思っていたんだもの」
確かにゾンビどうしで争うようなゾンビ映画もあったかも知れないが、やはりゾンビは人間を襲ってこそのゾンビである。
「哲学的人間を襲うのよ」
なるほど、普通のゾンビが普通の人間を襲うのならば、哲学的ゾンビは哲学的人間を襲うはずだ。存美さんは、なんと論理的なことか。
しかし、問題はどうやって哲学的人間を判断するかである。
「哲学者は哲学的人間だと思うわ。だって哲学者だもの」
そんなわけで、俺は今日も哲学者に噛み付いているのである。ネット上で。