読書感想:『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延ーー静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ 難波優輝著
これは異常論文という短編集の中の一編である。
この短編に対する読書感想として、以下の論を展開する。元の短編は反出生主義を多元宇宙にまで拡大した拡大演繹であるが、以下は反出生主義の適用を一部の人間に制限した縮小演繹である。
他者が苦痛を感じることを放置することは倫理に反する
反出生主義の基本であり、そうでなくても、我々の倫理の根底にある考えである。
人が感じる苦痛の量には個体差がある
これを事実として受け入れて欲しい。別に難しいことではない。哲学者たちも苦痛を感じる能力には生物の種によって差があることを認めている。例えば植物は苦痛を感じないと主張する哲学者もいる。個体差を認めることに困難はないであろう。ここで、無痛症を例に挙げるのは適切ではない。無痛症を例に挙げると、まるで苦痛を感じる個体と感じない個体があるというように、ゼロかイチかというような印象を与えてしまう。そうではなく、ここで言う個体差はアナログ的な差である。苦痛の感受性には個体差があり、また集団による差がある。
人間の苦痛に占める精神的苦痛の割合は無視できないほど大きい
これも哲学者ならば容易に受け入れらるであろうが、一般の人間においても、無視できない程多くの精神的苦痛が存在する。また、現代社会においては肉体的苦痛を軽減する手段が多く存在し、特に文明的な国家では、比較的容易に利用できることからも、相対的に精神的苦痛の割合が大きくなっていると思われる。精神的苦痛を軽減する手段も存在するが、肉体的苦痛軽減手段に比べれば十分ではなく、また手軽に利用できるとも限らない。
哲学者はそうでない人に比べて、より多くの精神的苦痛を感じている
これについては、哲学者は否定するかもしれない。しかし、我々哲学者でない人間からすると、事実であるように思われる。哲学者が思い悩みむ哲学的問題の多くは、哲学者でない我々にとってはまったく苦痛でも悩みでもなんでもない。一方、我々が恋愛や人間関係で悩むのと同様に哲学者もまた恋愛や人間関係で悩むはずだからである。哲学者という集団は他の人間集団よりもより多くの精神的苦痛を感じている。
反出生主義者はそうでない者に比べてより多くの精神的苦痛を感じている
精神的苦痛のより少ない集団が、反出生主義を掲げるのは欺瞞であると思われる。自ら感じる精神的苦痛を演繹的に拡大した結果が反出生主義であろう。少なくとも、反出生主義に反論する人々は、反出生主義者よりも感じている精神的苦痛が少ないはずである。反出生主義は、空理空論ではなく、自らが実感する多くの精神的苦痛に基づく地に足の着いた理論である。
我々は未来の悲劇よりも今起きている悲劇に対処するべきである
これから起こる悲劇を避けることも重要である。しかし、それ以上に、現在進行中の悲劇を止めることは重要である。これから生まれてくる人間の苦痛を止めることも重要だが、今現在重大な苦痛を感じている人間が目の前に、目の前でなくとも、確実に存在しているのに、その苦痛を感じている人間を放っておいて、未来に苦痛を感じるであろう人間を救済することは、手順として間違っている。現在の問題から解決していくべきであろう。
我々は反出生主義者の精神的苦痛を取り除く、または軽減することを、いますぐに実行するべきである。
これは我々に突きつけられた倫理的な命令であり要請である。ただし、この要請は自己決定権によって制限を受ける。したがって、我々はすべての反出生主義者にひとりひとり精神的苦痛の軽減を望むかどうか聞いて、その結果として軽減措置を取るかどうかを決めることが理想的である。最初に提示したように、苦痛の感受性には個体差があるので、ひとりひとりに軽減措置の要望があるか尋ねなければならない。誰かが代表で拒否することは適切ではない。その人の苦痛感受性が低いだけという可能性があるからである。
一方、人間は大きな苦痛に直面すると、正常な判断が出来なくなることがある。これは苦しみのあまり殺してくれと叫ぶ人間がいることからも分かるであろう。適切な医療処置を受ければ、殺してくれなどとは言わなくなるのである。苦痛のない状態または、十分耐えられる程度に苦痛が軽減された状態でなければ、人間は正常な判断が出来ないのである。
したがって、すべての反出生主義者に、精神的苦痛を軽減する向精神薬を投与して、苦痛が軽減したことを確認してから、引き続き苦痛軽減処置を続けるかを尋ねるべきであろう。
我々は未来の悲劇を回避する措置を取った方が良い
現在の悲劇を回避する措置を取った上で、その次の段階として、未来の悲劇を回避する措置を採用するのは、人類として理性的な行動である。
先に述べたように、哲学者はそうでない人に比べて精神的苦痛をより多く感じているのであるから、哲学者を育成するという行為は人に精神的苦痛を強いる行為であり、許されるものではない。
哲学は極めて重要な学問であり、現代文明に必要不可欠ではあるが、そうだからと言って、人間を犠牲にしてよいということではない。人類文明にとっては重大な損失ではあるが、哲学教育や哲学書が人の精神的苦痛を増大させるという事実がある以上は、その倫理的な問題を看過することはできない。人類のためであっても、個人を犠牲にすることは倫理上許されないからである。
哲学者の犠牲の上に成り立つような文明は倫理に反する文明である。人を生み出す行為同様に、まはたそれ以上に、哲学者を生み出す行為は反倫理的である。
結論
- 反出生主義者にはただちに精神的苦痛を軽減する向精神薬を投与するべきである
- 哲学科や哲学講座、一派向けの哲学解説書は禁止するべきである
以上が、苦痛の感受性には個体差があり、かつ、他者が苦痛を感じることを放置することは倫理に反するという前提から導かれた。
補足:苦痛の追加は悪であり、快楽の削除は悪ではない
これはデイヴィッド・ベネターという人物の主張である。これを哲学教育に当てはめると、哲学を教えることによって得られる高尚な快楽を、哲学教育を禁止して得られないようにすることは悪ではなく、哲学を教えることによって、それまで存在しなかった精神的苦痛を追加することは悪である。よって哲学教育をすることは悪であり、哲学教育を禁止することは悪ではないと結論される。一般向け哲学書の出版も同様である。
ベネターの主張に疑義を呈する者も極めて少数ながら存在しないわけではない。このことを補足しておく。