ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

ネタバレ読書感想:宇宙に「終わり」はあるのか

十年に一度くらいは最新宇宙論を読んで知識を更新したい。

 これは2017年発行であり、まあ最新の宇宙論に基づく過去から未来までの宇宙の歴史(の概観)である。

で、ネタばらしをして結論を言うと「終わり」はあり、それはある種の熱死である。ただし、より徹底した熱死である。(うーむ、これはまたひどいネタバラシであることよ)

とは言え、素人の私の書くことなど当てにならないのだから、気になる人はアフィリンクをクリックして原本に当たるしかあるまい。うひひひひ。実は本の冒頭に2ページで語る宇宙全史という項目があるので、そこを読めば概略はわかるのだが、書き写すの面倒だし、著作権の問題をかすめるのもいやだし、自分の頭を整理するためにも、全体を読んで理解した(と思っている)概要を書いてみよう。

まず、最近発行されたからと言って最新の宇宙論に基づくということにはならないのだが、この本が最近の宇宙論の流れにあることは次の点からも分かる。それは、この本では「超弦理論」は出てこないという点である。そう「超弦理論」はもう流行らないのだ。

ところで、日本仏教はいろいろな点で問題があると思うのだが、「無常観」という点では優れていると思っている。まあ、仏教側の成果というより、文学の成果という気もするが。もっとも、宇宙の終わりはほぼ定常状態になるわけだが、それが無常観と実に心地よく一致するのは不思議な事である。

ただ、最新宇宙論と言っても、肝心の暗黒エネルギーが全然分かっていないので仮説に過ぎない。暗黒エネルギーが時間とともに増大するか、減少するか、時間変化しないのかによって宇宙の運命は変わるのである。増大するという根拠も減少するという根拠もないので変わらないという仮説がまあ妥当なものとして採用されているが、この辺は将来変わる可能性があるかも知れない。(暗黒エネルギーの研究がそんなに進展しないという可能性もあると私は思う)。

まあ、どの場合でも宇宙の終わりはあるということになるんだけど。

まず、観測から宇宙は初期にインフレ膨張した後、一時的に膨張が減速した時期があり、現在は再び加速膨張の時期に入っていることが分かっている。で、暗黒エネルギーが時間変化しない場合、宇宙の膨張は加速を続ける。

最終的には、陽子崩壊とブラックホールの蒸発によって殆どの素粒子がなくなり、光子と電子と陽電子が残る。光子は宇宙の膨張によって赤方偏移し極めてぼんやりとした存在になる。電子と陽電子は宇宙の膨張の影響もあって出会いがなくなり対消滅できない。まあ対消滅しても光子になるだけだけど。

まあ、それ以前に地球は太陽に焼かれる。その少し後で、天の川銀河アンドロメダ銀河の衝突合体が起こり、銀河のハローが失われ、新しい星の生成がほとんどなくなる。少子化である。宇宙全体でも銀河の合体や高齢化で新しい星がだんだん生まれなくなる。

古い星はブラックホールになったり、中性子星になったり、あるいは単に死んだ星になったりする。そういう星の間の重力による作用によって一部の星は角運動量を貰って銀河から外に飛び出し、それ以外の星はだんだん中心部に集まって、銀河中心のブラックホールに飲み込まれる。降着円盤とかあっても結局はブラックホールに落ちる。そして、ブラックホールとその影響を逃れた死んだ星が残る。しかしブラックホールの蒸発と陽子崩壊によってそれらも素粒子になり、素粒子半減期を繰り返していくと結局は光子になるか、電子か陽電子になるらしい。これらは安定しているので勝手に崩壊しない。そして宇宙の膨張によって出会いが少ないので相互作用して消滅することもない。

こういう情景は、私には無常観とうまく合う宇宙の終末であり、怖ろしいとかいう気持ちはない。無常である。無常観あふれる定常状態である。まあそうなるわなという印象である。

そういう状態になるのは、サブタイトルにもあるけどだいたい「10の100乗年後」まあだいたいだから、年でなく秒で表してもそんなに変わらない。「10の107乗秒後」などという程の精度はないはずなので、やはりだいたい「10の100乗秒後」ということになるだろう。そんなかんじのスケール。

そんなスケール感からすると、アンドロメダ銀河と天の川銀河の衝突合体はまもなく起こる大事件である。人類文明が無茶苦茶頑張って生き延びれば、この大事件を目撃できる可能性がないこともないような気がしないこともない。

ストリング理論は科学か―現代物理学と数学

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おまけ: (超)弦理論に対する批判本。既に10年前の本である。素人向けにはまだまだ人気があるようだが、(超)弦理論に対する批判はかなり大きくなっているようだ。まあ、物理学の役に立たないからね。使えない理論というもっぱらの評判である。(個人の印象です)