困ったときに助けてくれる存在としてのヒーロー
昔のヒーローはそんな感じだった。例として「黄金バット」を挙げる。黄金バットはあまり積極的には活躍しない。ヒロインがピンチになると、蝙蝠を仲介して現れて助けてくる。自分から悪の組織を潰しにいくようなことはなかったと思う。そういう困ったときに助けてくれる、神助けの期待を具現化したようなヒーロー。
こういうヒーローはどこからともなく現れる。ので、読者や視聴者のところにも現れる可能性があるように思わせる。月光仮面も、スクーターだけれど、疾風のように現れるのでそういう性質がある。
スーパーマンもヒロインのピンチに現れるというパターンが結構多いのでそれが原点かもしれない。助けを求める対象であって、感情移入する対象ではない。スーパーマンは完全過ぎて感情移入できない。ドジっ子の振りはしているけど。黄金バットなんて感情移入するような造形ではない。
それでも子供がごっこ遊びをすると、やはりヒーロー役になろうとするのは不思議。ごっご遊びでは戦闘シーンだけ再現するからだろうか。戦闘シーンだけなら、勝つ側をやりたいだろう。
でも、そういうヒーローは少なくなっていって、読者や視聴者が自己同一化できるヒーローが増えていった気がする。昭和の話です。
追記:マグマ大使を忘れていた
マグマ大使は呼べばすぐに来てくれるヒーロー。笛というか呼子(ホイッスル)でお手軽に助けを求めることが出来る。そしてあの金色の顔もあまり感情移入できない。ロケット人間という設定は、どこに居てもすぐに助けに来てくれるという意味で便利である。
感情移入出来そうなガムはあまり活躍しないような。そういや、奥さん(モル)もほとんど活躍してないような。笛でモルを呼んだことあったかなぁ。
助けてくれるヒーローは頼りがいのある大人の形になるのだろう。
ピピロピッピピー。