ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

読書感想:エノーラ・ホームズの事件簿〜令嬢の結婚〜

図書館で貸し出しは自動貸出機で出来るが、予約は図書館員の手から受け取るので、ラノベ風というか少女漫画風というかそういう表紙の本をおっさんが借りるところを見られてしまった。まあ、図書館憲章だかなんだかがあるから、図書館員たるものは誰がどんな本を借りたか気にしてはいけない
冒頭でシャーロックはマイクロフトに向かって、エノーラの安全について心配はいらないというが、毎回危険な冒険をしているので心配したほうがいいと思う。
2巻で登場したセシリーが今度は無理やり結婚させられるという話。その捜査の過程で、エノーラは一時的に危機に陥っていたシャーロックを助けるメイソン暗号というのは実在の暗号か。児童養護施設でワクチン接種を拒否する。エノーラは既に種痘のワクチンを打っていたのだろうか。書いてない。ラゴスティン博士の探しもの事務所は、ほとんど役に立っていないような気がする。探偵小説でよくあるように、ペットの捜索とか落とし物とかそんなんばかり。秘密基地みたいな設定を作ったのに生かしきれていないのでは。下宿の女主人に変装を見られるとかいろいろボロが出てきたような気もする

 

 

 

読書感想:エノーラ・ホームズの事件簿〜ワトスン博士と奇妙な花束〜

エノーラはこれまでも変装しまくってたけど、今回は絶世の美女に変装する。なにその変装。そして今回のイギリスの闇は、離婚は恥だから、厄介者になった奥さんを精神病院に入れてしまうという当時のやり口。まあ、今回は誰かの奥さんじゃなくて、ワトスンが精神病院に入れられるんだけど。あの有名なワトスンを自称するなんて、典型的な妄想だと思われてしまう。
基本的に推理よりも冒険の話。屋根の上を走ったりする。怪盗か
そして、最後には、前回閉鎖していたラゴスティン博士の探しもの事務所を再開するという流れになる。うむ、今後が楽しみだ。次巻以後は貸出中になっていたので予約を入れておいた。

 

 

読書感想:エノーラ・ホームズの事件簿〜ふたつの顔を持つ令嬢〜

これは素晴らしい。絶賛するぞ。ネタバレしっつ。
1巻はエノーラの家出が主な事件で、舞台もロンドンは半分くらいしか出てこなかったが、今回はロンドンが舞台で、当時発表されていた「ジキルとハイド」も絡んで大変おもしろい設定になっている。ジキルとハイドの二重性よりもロンドンの晴れやかさと暗さの二重性が描写されていて、エノーラは資本論を読もうとして寝てしまったりするし、さすが児童文学という感じである。
ラゴスティン博士の探しもの事務所も開設されて、エノーラは秘書の役をし、事務所に使用人も雇い、いろいろ順調に見えるところに、現れたのがワトスン博士で依頼内容がエノーラの捜索というとんでもないことに。しかしエノーラはその件は放置して、ワトスンがふと口にした令嬢失踪事件に取り組む。
シャーロック・ホームズにもベイカー・ストリート・イレギュラーズとか出て来て、なんだっけTVシリーズではホームレスを使ったりしていたけれど、この作品ではロンドンの闇の部分としてのホームレスや救貧院のことが描かれているし、労働者のストとかも理想よりも現実よりに描かれていて、そのへんが素晴らしいのだよ。そしてエノーラは秘書や幼妻やシスターと次々に変装をしまる。
暗号はまたしても出てくるけれど、それもシャーロックに見破られてしまい、エノーラを捕まえるシャーロックの罠を回避して逆にシャーロックから暗号の本を取り戻すとか、今回もいい感じにシャーロックと競い合っている。そして冒険の末に失踪した令嬢を救出するものの、シャーロックにつかまりそうになる。
なんとも意外なことに、シャーロックにヒントを与えすぎたと感じたエノーラは探しもの事務所を閉めてしまう。ミステリーの基本パターンを壊してきたな。次回どうなるんだ。
しかし、胸のブローチを引っ張ると短剣が取り出せるというのは一体どういう風に短剣を仕舞っているんだ。そして転んだらどうする。あれか、ウテナ(アンシー)みたいに剣を取り出すのか。アニメついでにいうと、子供が大人に変装するところはミンキーモモみたいだ。

 

 

読書感想:エノーラ・ホームズの事件簿〜消えた公爵家の子息〜

ネタバレあり
ナンシー・スプリンガーの児童文学ミステリー。シャーロック・ホームズの年の離れた妹が活躍する話。イラストはラノベ風。
まあ、いまどき、妹ぐらいでは驚きませんよ。これ、児童文学だけあって、ちゃんとした話である。シャーロック・ホームズの時代の女性の地位とかをちゃんと説明した上で、その時代に合わない現代的な感覚を持った主人公を据えて、彼女からみた19世紀末のロンドンを描写している。
なによりもよい点は、シャーロック・ホームズは、タキシード仮面のようなお助けヒーローではなく、家出したエノーラを連れ戻そうとする敵対者としての役割であること。そしてエノーラがまんまとシャーロック・ホームズを出し抜いて逃げ切ること。
ただし、謎解き小説というよりは冒険小説であり、暗号は頻繁に出てくるものの、それはやはり先進的な思想を持って家出した母親との連絡に使われる、まあ他愛のない暗号である。しかし、暗号を解いて出てくるのは、母親が娘に残したお金というのが素晴らしい。そのお金を使って自分で生きていきなさいということなのである。シャーロックは敵対者で、母親はお金しかくれず、一人で事件を解決していくエノーラという構造が素晴らしい。エノーラという名前もaloneのスペルを逆にしたもの。
そしてエノーラが嫌で嫌で仕方がないのに無理やり着せられたコルセットが防具となって命を救ってくれるというのもいい。これって、ファンドーリンの事件簿でもあったことで、コルセットは最強の防具なのかも知れない。
サブタイトルの消えた公爵家の子息の事件は、大したことはないとも言えるが、家出中でシャーロックから隠れようとしているのに、余計なことに首を突っ込んでいくところはさすが主人公という感じである。
この1巻の最後では、エノーラは探しものの事務所を開く。シャーロックが扱わないような事件を扱うということで、人の死なないミステリーシリーズの始まりを期待させる。
しかし、エノーラが14歳というのは若すぎる気がするが、マイクロフトがエノーラを寄宿学校に入れて立派なレディにしようとするので逃げ出したという設定からすると、ぎりぎりありかなという気もする。もちろん、14歳では社会的に活動できないので、大人の女性に変装するのだが、そこでもコルセットやら胸パッドやら尻パッドやらの当時の風習を役立てている。

 

 

読書感想:泥棒はスプーンを数える

面白かった。
実は有名な作家の有名なシリーズの最終巻らしい。全然知らなかったけど。
泥棒探偵バーニイ・ローデンバーの活躍するというか、おしゃれな会話が楽しめる本。バーニイは古書店主なので、本に関する蘊蓄も多い。謎解きとしてはそれほどのこともないというか、作者もそんなに気にしてないのではなかろうか。
最終巻なのでこれまでとパターンが違うところがあるようだ。基本的にはバーニイは泥棒。
ヒロインと言うか、会話の相手は犬の美容師でレズビアン。バーニイと恋愛関係にないという点が重要らしい。
二人は毎日中華料理とかをテイクアウトして交互に相手の店で一緒に食べる。その二人の会話がおしゃれである。それからバーニイと恋愛関係になるゲストの女性たちも魅力的である。
だがそれ以上に変なのは事件に絡んで登場するコレクターたち。薀蓄を語る語る。
映像作品向きのおしゃれな話かと思ったが、最後で事件の解決がちょっと反倫理的なので映像作品には向かないかも知れない。この反倫理的な加減が微妙で、悪党とまでは言えないような気もするが、善良な市民ではない。むしろもっと悪党らしい方が映像的には面白い気がするし、オレとしてもちょっと半端な気がする。
しかし全体としては面白かったのでシリーズを振り返って読みたい。

 

 

読書感想:レインボーズ・エンド

読書感想:レインボーズ・エンド
ヴァーナー・ヴィンジのサイバーパンクというか。
面白いことは間違いなく面白いんだけど、個人的な不満もある。基本的にサイバーパンクは反倫理的な主人公が活躍する話だと思っている。私のこの認識自体が古いということなのだろう。初期のサイバーパンクは、技術の発達によって古い倫理観が意味をなさなくなり、ハッカー的な新しい倫理観が成り立つというような話だったと私は認識していていて、それが更新されていないのだ。
この作品は実は家族関係の再生の話で、基本的にはとてつもなく古いタイプの話である。ハッカー的にな存在は主人公ではなく、外部の謎の存在であり、人間ではなくてAIであるという解釈も可能だが、その辺も個人的には気に入らないというか。小説に登場するAIはとても人間的でつまらない。能力は人間を超えているにしても、行動原理が人間的過ぎるのだ。これではまるで人格神ではないか。現実のAIが人間的なレベルに到達していないために、虚構のAIは人間的にならざるを得ないのかも知れないが、異質な存在をみたいと思うオレのSFマインドに応えてくれないのである。
個人的には、主人公に反倫理的な行動をしてほしい。単に利己的な行動でなければなおよい。しかし、SFといえども娯楽小説であり、反倫理的な行動やアンハッピーエンドは、アメリカでも(アメリカだからこそ)難しいのかも知れない。
実はこの作品、始まってすぐに敵役の陰謀がはっきりしてしまうのである。そこを読んだときには、えーっと思ったけれど、その陰謀を実現するための手段が遠回りすぎて、それが書いてなければ何を目指して話が動いているのか全然分からないので、書いてあってよかったというか、書いてあっても何がなんだか分からないというか。まあ、その辺りはサイバーパンクらしさがある。
もっとも主人公が若返った年寄りというのは、それなりに高齢と思われる作者の願望充足的な面がみられて微笑ましい気もする。ぽっちゃり体型の孫娘とのコンビも。

 

 

アニメ論:作品世界に偶然はない

フィクション作品である以上、その作品内で起こることはすべて製作者の意図したことである。したがって、作品世界でいかにも偶然のように見えることが起こったとしても、そこには製作者の意志が働いているということになる。
バクテン」で主人公が怪我をしたのは、練習の結果の怪我ではなく、まったくの偶然によるものであった。そこで怪我をする必然性はなかったのである。しかし、製作者はそこで主人公に怪我をさせることを決定した。その意図は何か? こういう問題なら、国語の試験としてよく話題になる「作者の言いたいことは何か」とかよりもはっきりしているだろう。
スーパーカブ」でもが事故を起こした。作中の事件としてはこれもまったくの偶然であろう。しかし、作者は何らかの意図を持って椎の事故を決定したはずである。
もちろん、エンタメ作品なのだから、その意図が文学的で高尚なものとは限らない。単に「盛り上げるため」とか「王道展開」とかそんな理由かもしれない。あるいは、「神は残酷な仕打ちをする」ということを示したかったという可能性もある。
アニメでよくあるラッキースケベについても、作品世界に偶然はなく、すべては製作者の意図したものであるという点から見るべきものであろう。主人公にとっては悪意のないラッキースケベであっても、製作者にとってはラッキーな偶然ではないのである。視聴者にとっても。