ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

読書感想:ステーシーズ

大槻ケンヂの本である。名前はもちろん知っているが、たぶん一冊くらいしか読んでいない。なぜかというと、その才能に嫉妬して読めないからである。大槻ケンヂ才能ありすぎだろう。ある意味、嫉妬は最大の賛美なのである。

ステーシーズは借りた本の中に混じっていたので、読んだ。これは少女ゾンビの話である。

ステーシーズ―少女再殺全談 (角川文庫)

ステーシーズ―少女再殺全談 (角川文庫)

 

 ところで、ゾンビという架空の生き物は、映画の中の住人であると私は思うのだ。もちろん、こうして小説に書かれることもあるし、マンガやアニメにもなっているが、本来の居場所は映画なのではないかと思う。まあ、私は映画見ないんですけど。

この作品も、映像表現を意識した構成になっていて、ゾンビ映画やゾンビ殺戮ゲームに観客が期待するようなシーンがたっぷりと描写されている。いや、観客の期待以上と言ってもいいだろう。さすがに、大槻ケンヂである。そして、あとがきには映画化されていると書かれている。そうか、やはり映画化されるよなぁとすごく納得した次第である。

話は変わるが、ライトノベルとアニメはなかなか奇妙な共生関係のようなものを築いている。全部が全部というわけではないが、ラノベもまた漫画やアニメのような映像表現を意識した小説なのである。ラノベ作家はアニメ化を夢見て作品を書き、アニメ業界は売れているラノベをアニメ化する。

しかし、大槻ケンヂの作品はラノベとは違う。なぜなら、アニメ化ではなく映画化されるからである。ラノベとアニメの関係は大槻ケンヂ作品と映画(邦画)の関係と似ていると思うのだ。ここではたと気がついた。俺は大槻ケンヂに嫉妬してその作品が読めなかったのではないんじゃないか。邦画の匂いを嗅ぎつけていたんじゃないかって。

そう思うとすごく納得できる。いやあ、苦手意識持ったり嫉妬したりする必要なかったんだ。体質的に合わない作家だっただけなのだ。うーむ、無駄に嫉妬してしまった。嫉妬は最大の賛美なのに。

ところで、最近(とも限らないが)、邦画の匂いのするアニメってのも結構あるんだよなぁ。