エンタメ全般に言えることだと思うが、人によって違うだろうと言うとそれで終ってしまう。
個人的にはパズルミステリーは古くならないように思う。ただし、トリックのネタがある短い期間だけ有効なものは難しいかも知れない。(なんだっけPHSの前に女子高生が使ってた文字だけ表示されるやつ)
あとはサスペンスのあるものも古くならないと思う。
もちろん文学性の高いものも。
一方、倫理観が古いものは古く感じる気がする。
SFで言うと、「我はロボット」はミステリ要素が強いので、古く感じない。というか、このシリーズは三原則を確立したシリーズだけど、この三原則ミステリという分野はほぼアシモフくらいしか書いてないのではないか。(先日読んだ作品が三原則ミステリだったけど)
科学技術は、未来を予想しただけだと古くなるけど、世界観の一部になっていると古くないかも。ラルフ124C41+はさすがに古い気がするが、世界観の一部かも知れない。
人類が最強で未開の惑星に着陸して原住民をやっつけるような話は古い。(今はほとんど残ってないけど、そういうスペオペはたくさんあったと思う)。火星のプリンセスはジョン・カーターが単身で乗り込んでいて人類の優れた科学技術とかを使っていないので、実質ファンタジー。
コンピュータの発達はすごいのに、サイバーパンクは初期の作品でもそんなに古くは感じない。実はコンピュータやソフトウェアについてそんなに細かく記述されていないから。
宇宙SFでは光速をどう超えるかが重要だが、「光速の壁なんてない」と主張するスカイラークシリーズも、慣性を消すバーゲンホルム機関も、時空をねじ曲げるマンシェン駆動系も、おなじみのワープも、どれが古いということもないと思う。
一方、それらのどれよりも科学的に正しい世代宇宙船という設定は、今では古いように感じる。世代宇宙船の問題は「宇宙の孤児」でほぼ完璧な形で書かれてしまったからだろうか。(宇宙の孤児は古くない)
一時大流行したミュータントものは、もう古いのだろうか。これはもう個人的にか、世代的にか思い入れが深いので、まったく客観的に見られない。迫害される超能力者という状況は、今の人には共感できないのかも知れない。(迫害されるSFファンという実際に迫害があったかどうか分からないものの、なんとなく共有される感覚がないと迫害されるミュータントものへの過剰な感情移入は難しいだろう)
その意味で、迫害されるミュータントものと異能力ものは違う分野だと思う。サイボーグものはミュータントものの隣接分野だと思うが、これもサイボーグの悲しみみたいなのもが消えて、異能力ものの一部になったように思う。
異能力者も化け物って言われたりするけど、かなり形式的な罵倒語という印象がある。
ミュータントものは被爆者差別につながるからダメというのもあるかも知れない。また優れたものが嫉妬で迫害されるという思想も、あたかも自分たちが優れていると言っている点や、優れていなければ迫害されてもいいのかという点もあって現代の倫理とは一致しないのだろう。
現代の能力者ものはスパイダーマンでも言われていた「大いなる力には大いなる責任が伴う」というテーマで成立しているように思う。そこが昔のミュータントものとの大きな違いではないか。
結論っぽいこととしては、科学技術が間違っているからという理由で古く感じることはあまりない。現代の倫理と一致しないと古い気がする。(ピカレスクものは別だよ)
文学性の高いエンタメは、古典文学、近代文学のように読んでしまうので、古いのかなんなのかよく分からない。