ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

読書中断:宇宙の果てまで離れていても、つながっている

副題は「量子の非局所性から『空間のない最新宇宙像』へ」なので、この非局所性というところを読みたいと思って、図書館で借りたのだ。

けれども、すごくどうでもいいことをだらだらと書いていて、実に鬱陶しくて作者が嫌いになった。

近所の本屋で面白そうな本を物色していた時に、当時出版されたばかりの物理学者ファトスと科学史家ナドーとの共著による本、「意識を持つ宇宙」を手に取って見ていたところ、「非局所性に比べれば、それに先立つどんな発見も、私たちの日常の現実的感覚に、これほど多くの深刻な問題を突きつけたことはなかった」という文章が目に止まり、衝撃を受けたのだ。それは禁断の果実の味がした。

もうここで読み止めようかと思ったのだが、ここはまだ「はじめに」という章だったので、本題に入れば、作者の感情とかに関係なく話が進むだろうと思って1章を読み始めたら、今度は

コルゲート大学にあるエンリケ・ガルベスの研究室は、車2台用の車庫ぐらいの広さで、たいていの家の車庫と同じく、いろいろなものがひしめいている。

そんなことはどうでもいいんだよ。その後も、ずっとどうでもいいことがだらだらと書いてある合間にほんの少しだけ量子もつれのことが出ていたりするので、飛ばし読みしていたら、どうやらこの本はストリング理論に基づいているらしいということが分かった。

それで読むのを止めた。

 

 

もう俺にはストリング理論の相手をしている暇はないのだ。

まあ、大抵の人間には、どうしても受け入れられないことがあって。たとえば、ゼロの存在は認められないとか、マイナスの数なんてあるはずがないとか、虚数は存在しないとかいろいろな拘りがある。俺の場合は、非局所性は受け入れられないという気持ちが強い。

この非局所性に対する拒否感のために、遍在する神の存在を受け入れることが出来ないし、梵我一如という考えも受け付けない。

まあ、プログラマー的思考として、非局所的関係があると計算がループして終らないので困るという点がある。量子もつれの問題は、確かに問題だが、やや形而上的な問題という気がする。その解釈がどうであれ、実験結果に反しない解釈どうしの対立であれば、形而上的な納得感よりも、計算量が少ない理論を採用するべきだというのが俺の考えだ。これは、地動説が天動説よりも計算が簡単だから採用するというようなものである。証拠が出ないうちはという条件が付くが。