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考察というか読書というか:20世紀初頭における郵便貯金と大衆貯蓄行動

日本人の貯蓄指向が強いということが最近言われている。でも、江戸っ子は「宵越しの銭は持たぬ」という気風だったわけで、どこかで貯蓄指向が強くなったわけである。

政治経済学・経済史学会の会誌「歴史と経済」の2012年1月号に田中光氏の「20世紀初頭における郵便貯金と大衆貯蓄行動」という論文が掲載されている。別にこの学会に入ってるわけではなくて、googleで検索したらヒットしたのである。まあ、郵便貯金の推進が日本人の貯蓄指向を高めたというくらいのことは知っていたので検索できたわけだが。

で、この「20世紀初頭における郵便貯金と大衆貯蓄行動」を読んでみたのだが、まさに国策としての貯蓄奨励の様子が分かる。

歴史的には前島密がイギリスから郵便貯金の制度を取り入れたようだ。導入当初はイギリスのように労働者の少額貯金として社会保障機能の一部を担うことを目的とした。しかし、導入当時はあまり普及しなかった。

普及のために、特定郵便局の制度を作り郵便局の数を増やし、また金利も上げた(1881年金利が年7.2%)。その結果、労働者ではなく富裕層が郵便貯金をするようなる。

その後、郵便貯金制度に対する政府の方針が変わる。

日清戦後経営による財政資金需要の拡大と金本位制維持とい う課題に直面して,政府は先の 1890年 郵便貯金条例制定時の認識とは異なり,郵便貯金を事実 上政府財源に使用するこ とを意図する よ うになったのである

郵便貯金は10銭以上という制限があったが、切手貯金という方法で10銭未満の貯金も出来た(というか出来てないというか、切手を台紙に貼って10銭になると郵便貯金に入れられる)。

また特別貯金という集団で貯金する仕組みも作られた。これは、無尽講の資金管理に使われたりした。

だが、制度だけで郵便貯金が普及したわけではない。

横須賀海軍工廠では,1901年4月30日に 「職工郵便貯金取扱手続」が制定され「職工貯金は自今各自申出の金員を其月支給する給 料の内より引去り会計課員をして預入の取扱を為さしむ」「貯金を為すへき職工は賃銭受取日に通帳を貯金取扱所に持参し同所へ 出張の会計課員へ 羌出す」と言った規定が作成されている

たとえば兵庫県揖保郡では,新郡長赴任以来「郡書記,郡視 学,郡技手,事務員にいたるまで毎月俸給の一割以上を積む」事となり

というかなり強制力のある(と思える)ことがされる。財形貯蓄のはしりという見方も出来るかも知れないが。

小学生を動員して貯金させるというのもすごい。

愛媛県余土村では,「村長自ら通帳を配布して勧誘」し,1901年から 「日曜貯金」を実行した.収集にあたっては小学生が動員され,村内戸数486の中当初の参加者は630名と,村を挙げての貯蓄活動だっ た.

この日曜貯金に対して、面倒だから月に1度にして欲しいという要望に、村長は月に1度だと貯蓄意識が高まらないと反論している。意識改革運動でもあるのだ。

そして小学生も集金に動員されただけでなく、貯金させられる。小学生が貯金するほどの金を持っているかという疑問があるが、この論文の中ではひとつ例が挙がっている。田舎の田圃の害虫駆除に教師の引率付きで小学生が動員されて、取った害虫の卵の数に応じて報償金が出るが、その報償金を郵便貯金にしたというもの。都市部なら廃品回収とかだろうか?

こうして強制的というか、かなり強い圧力の下で貯金をさせられたわけだが、貯金をさせられた人は結果的に損をしていない(はず)。なので、小学校で教師の指導?圧力?の下で貯蓄指向が強められ、結果としても利息が付いて得したという経験を積んだのだろう。その小学生が親になり、また子供に貯金をさせるということが続いて現在の日本人の貯蓄指向の強さが形成されたのだと思う。この論文では戦後のことには触れていないけど。

強い圧力とその結果集められた資金は、戦争準備に使われたわけで、実に嫌な戦前の風景が浮かぶのである。その郵便貯金は戦後も戦争準備ではないものの便利な資金として財政投融資に使われたのだ。

というわけで、日本人の貯蓄指向が強いとしても、それは国策として作られたものなのである。国の政策ってのは先を見越して実施するものだが、その副作用的な影響もずっと後まで続くと思う。善かれ悪しかれ。

今現在、国は株価維持を目的として、国民の投資指向を強めようとしているが、それがうまく行ったとしても、一度方向づけられた国民の指向は、その後都合が悪くなってもそう簡単には変えられないだろう。

 

 

seikeishi.com株価は歴史上、長い期間で見れば、ずっと上昇してきたということは事実として認めてよいと思う。しかし、それが今後も続くかどうかは分からない。

今は歴史が変わったのである。かつては資本主義の発展段階だったが、今は持続可能な経済発展の時代なのだ。この持続可能な発展という制約は、ずっと株価が上がってきた時代にはなかった制約であり、株価の長期的な推移に楽観を許さないと、俺は個人的に思う。持続可能な発展の制約がきつい場合だけでなく、制約が緩すぎて災害が多発する可能性もあるわけだし。