ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

アニメ雑記:自分で考えさせるのはどうなんだろう?

偶然の一致なのか、今期アニメの「アオアシ」と「ラブオールプレー」で、どちらも監督が教えないで、選手に自分で考えさせている。これに違和感を覚えた。いや、俺はスポーツチームの指導とか全然知らないし、指導を受けたこともないけど、なんか違和感があるんだよなぁ。実際のスポーツの指導では、「自分で考えろ」っていうのが最新のスポーツ理論に適った適切な指導なのかも知れないけど。

確かに、自分で考えることが重要な場面はある。自分の人生とか恋愛とか。でもチームプレーのスポーツなら、重要なことは監督なりコーチなりが伝えるべきだろう。素人考えだけどさ。言っても出来ないとか、言っていることが理解できないとかいうことはあると思うが。

いやいや、普通のスポーツ物なら、こんなことにはこだわらないのだが、この二つの作品では、監督が優秀という設定なんだよなぁ。昔と違って(年寄り感覚での)比較的最近の作品では、監督が優秀なことが結構ある。「おおきく振りかぶって」とか「ラストイニング」とか「GIANT KILLING」とか。

こうして挙げると、野球ものでは捕手に対して、「自分で考えろ」って言ってる気がする。まあ、捕手は司令塔だから。あと、4番バッターは好きにさせるみたいなことろはあるか。GIANT KILLINGもよく思い出すと、あるような気もするが、まあ言うことを聞かない選手が多いからか。

でもでも、「アオアシ」と「ラブオールプレー」はどちらも監督が目をつけてわざわざ引っ張ってきた選手なんだよ。その選手に対して、教えないで自分で考えろっていうのが腑に落ちない。チームプレイに必要なことなら、教えるべきじゃないの。特に「ラブオールプレー」では、初めてダブルスを組む選手がまったく頓珍漢なことをやっているのに、教えないっていうのはおかしい気がする。

思うに、これって、昔の監督不在の、あるいは、監督がしごき体質のど根性スポーツ物の流れを受け継いでいるからではないかと。つまり、主人公が自発的特訓によって、なにか必殺技を身に付けるという話の必殺技の部分を、現代的なテクニックに置き換えたから、それを身に付けるには主人公の自発的な「自分で考える」ことが必要とされているのではないかと。

そして、なんで俺がこんな重箱の隅にこだわるのかということを考えてみた。それはいちゃもんを付けたいから、ではなくて、どうも「自分で考えろ」っていうのはブラック企業の職業指導の匂いがするから嫌悪感を覚えるようだ。まあ、体育会系の考え方と、ブラック企業には共通点が多いからね。そして、優秀なはずの監督がブラック企業の上司や経営者のように見えて、幻滅してしまうのである。

で、なんで優秀な監督という設定にしたのかを考えると、どちらも強いチームだから、当然監督も優秀でなければ辻褄が合わないという理由はあるだろう。もう一つは、優秀な監督に見いだされたすごい選手という主人公の卓越性を出したかったからではないかと。そして、そういうのも俺はあまり好きではないのだ。すごい人に認められたからすごいというのは、総理大臣と一緒に写真を撮ったすごい人みたいな持ち上げ方だから。

 

スポーツ選手って、言われたことをやれるだけですごいと思うんだよね。指導陣は高度なことを要求しているわけだから、自分で考えつかなくても、言われたことをやれればそれでいい。アオアシの方はふつうの選手なら言われても出来ないことを出来る能力を持っているわけで、それで十分すごいわけだし。

ラブオールプレーはスポーツ物というより青春物なので、ツッコミ不要という気はするけれど。

アオアシの方は青春物ではなくスポーツ物なので、デレ女にはツッコミ不要である。