バンダイチャンネルで見放題に入った「がっこうぐらし」を見終わった。これはよい作品だ。その内容や感想には立ち入らずに、そこから発想したことを書きたい。
「平穏な日常」は何よりも重要だと思う。フィクションを盛り上げるためには戦いが有効で、多くの娯楽作品で戦いが描かれている。主人公は何のために戦うのかという動機が必要となるのだが、「国のため」「家族のため」「愛する人のため」「生きるため」など様々な動機が与えられて来て「平和のため」という尤もらしいが、自己矛盾をはらんでいる目的も使われてきた。でもやはり「平穏な日常を取り戻すため」という目的が今の私には一番しっくりくるのだ。
中国の思想にも「古代の聖王は何もしなくても国が治まっていた」という考えがある。特に今の日本は豊かな時代だから、ふつうの暮らしが出来ればいいと考えるのは不自然ではない。
「平穏な日常」の対極にあると私が考えるのは「息苦しい日常」である。これは戦時中の国家総動員体制のようなものが頭にある。「この非常時に乳繰り合うとはけしからん!」というようなことをいちいち言われる生活。これは「リア充爆発しろ!」とは違う。違うと思う。「リア充爆発しろ!」は個人的なやっかみ。「この非常時に……」は権力による生活への干渉だから。
戦いが必要な状況というものは実際に存在するし、それに目をつむることは出来ないが、その最中でも平穏な日常を維持しようすることは重要だ。逆に、戦いが実際には起こっていなくても、権力による個人の生活への干渉が強ければ、平穏な日常は維持できない。
フィクションでは元気な男の子などが、「退屈な生活」を嫌がって冒険を求めるという話も多い。そういう場合に、たまたま争いが起こったり侵略されたりして男の子が活躍をするという話は好きになれない。冒険好きな主人公なら、旅に出るべきだ。話の都合で周りを巻き込むべきではない。
抑圧された息苦しい日常から脱出するために戦いを選ぶという話は、私には共感できる。それが平和を破って戦争を始めることになろうとも。ただし、戦争も長く続けば戦争状態が日常になってしまう。戦争は素早く終わらせることが重要だ。
というようなことを考え、そしてこれは会社でも当てはまるんじゃないかと思った。社員にとっては会社が急成長しなくても残業なしで給料がきちんと出ていればいいじゃないか。でもそううまくは行かなくて、突発的なことがあって残業が発生したりするのも避けられない。ただし、それが日常になってはいけない。息苦しい会社からの脱出は最優先で実行するべきだ。自分では息苦しいと感じなくてもアドレナリン全開の生活が続くようなら問題だ。