ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

読書感想:沢蟹まけると意志の力

とうとう読み終わりました。

沢蟹まけると意志の力

沢蟹まけると意志の力

 

 こうしてみると、表紙にもはっきりと「意志の力」が大きく書かれていて、「沢蟹まけると」は小さく書かれているわけですよ。そしてドイツ語らしき文字も「沢蟹まける」とは思えず、なんとなく「意志の力」っぽい字面なのである。

つまりこれは「意志の力」についての小説なのである。いや、まさにその通りなのだ。それがエンタメになるのかというと、どうもはっきりしない。そもそもエンタメだというのは私の思い込みであって、どこにもエンタメとは書いていないのである。じゃあ、純文学か哲学かというと、そうでもないようである。よくわからない。そういう時には便利な言い回しがあって、「これは佐藤哲也ならではの小説である」というのである。

そのようなエンタメっぽくない小説をどうして私は最後まで読み通すことが出来たのか?

「それは堅牢強固な意志の力によってである」

 

カフェインでイライラ

コーヒーを飲みながら、そんなことを書いているわけだが。

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一度カフェインを取るようになると、カフェイン抜きでは頭がすっきりしないような気がしてしまう。それは依存ということで、依存自体がよくない。

依存を抜きにしてもカフェインには興奮作用があるので、頭が冴えるかどうかはともかく、なんとなくやる気がでない時に多少やる気が出るようになる。あるいは訳もなく興奮する。

しかし、興奮するとイライラしやすくなるのだ。いやほんと、興奮にはイライラするという状態がつきまとう。実のところ、現代人がやたらとイライラして攻撃的なのは日常的にカフェインを摂取しているからではないかと思うのである。

しかし、現代文明では興奮してイライラして攻撃的であることは、だいたいのところ有利に働く。暴力に対しては、現代文明以前より厳しいので、攻撃性をうまく制御した者が成功するようになっている。

でも、イライラは別に罰せられないし、直接的かつ重大な害はない。でもみんながイライラしている社会はあまりうれしくない。

興奮してイライラしている人には勝手に成功させておいて、自分だけは成功もイライラもしないようにしたいものだ。……などとコーヒーを飲みながら考えた。

読書感想:ブラックアウト

コニー・ウィリスストーリーテラーだなぁ。優秀な娯楽作品である。そして長い。この判型でこの長さは問題だ。そして終わってない。

 

ブラックアウト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ブラックアウト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

 

そう、終わってないのだ。これは「ブラックアウト」と「オールクリア」で一つの作品なのである。上下巻でタイトルが違うっていう感じ。まあ、ブラックアウトは「新☆ハヤカワSFシリーズ」版でも上下巻なんだけど。

ハリウッド映画っぽい。主人公(たち)は、ただでさえ困難な任務を遂行しようとするが、その最中にさらに困難な事態に巻き込まれるという話だ。これぞ、エンターテイメント。なんで映画化しないだって思うくらいだ。

たぶん、歴史クラスターはSF映画をみないという思い込み、またはそれ以前に、ハリウッドがSF映画に期待するものと違うってことかも知れない。もっともこれがハリウッド映画になったとしたら、SF的にツッコミどころがないという例外が発生してしまうのだが。

まあ俺はそんなに映像にこだわらないので、この本を読んだだけで映画を見たような気になる。

でもなんか「ドゥームズデイ・ブック」と構造が似ているような気もするんだが。パターンを確立しているというべきか。子供の描写とか、うまいと思うと同時にあざといという気もする。そのへんもまた映画っぽいというか。

娯楽作品だが、ラノベとは違う種類の娯楽作品である。それにしても長い。

読書感想:ポール・スローンのウミガメのスープ

一本釣りしようとしてちょっと失敗。

ウミガメのスープ」をネタに一本釣りをしようとした。で、市立図書館で「ウミガメのスープ」を検索したら狙いの本もあったが、同時に「ポール・スローンウミガメのスープ」も引っかかったので、両方読んで比較してやれということで二つとも予約したのだが、本命の本が貸出中で借りられなかった。借りた方は、市内の他館にあったのを予約していつも行くところで受け取ったわけだ。

ポール・スローンのウミガメのスープ

ポール・スローンのウミガメのスープ

 

 推理ゲームなんだけど、まあ、あれよ、俺様レベルになると問題見ただけでヒント見なくても答えが分かるし。いや、答えと違うこともあるけど、その場合は問題とヒントからだと俺の答えも正解になるから。

実を言うと、この手の推理ゲームというのは、問題に対してどんな質問をするかという点が最も知性を要求される点でもあり、面白いところでもあるのだが、本になるとその面白みが出ないのである。

かといってネットだとその時間にいないと質問できないし、これはAIが出題して質問に答える形のゲームにしないとすべての人が時間に関係なく存分に楽しめるようにはならんなぁ。さもなくばテーブルトークのように遊ぶか。

あと、各問題の登場人物、気軽に自殺しすぎだ。いくらアメリカが銃大国で気軽に自殺できるといっても。

 

推理クイズ道場 ウミガメのスープ (電脳番外地)

推理クイズ道場 ウミガメのスープ (電脳番外地)

 

さて、こっちの本はそのへんをどううまく扱っているだろうか。電子書籍にして質問を選べるようにしたら少しは面白みが再現できるかも。

こんなん一瞬で読めると思うので、大人気で予約が集中しているのでなければ、貸出中のまま紛失してる可能性もある。

あれっ、表紙を比べると男の年齢が随分違うが、こっちの年寄り版の方がもっともらしいな。

 

アニメ感想:東のエデン劇場版

やはり面白い。

 

 

 滝沢朗の好感度は異常。とは言っても、あのあいつとは手を組むのは無理だろう。いや、そんな奴とも手を組めるっていうところが器が大きいということなんだろうけど、そうは言っても無理なんじゃ。相手から断られたけど、ここはやや不思議、相手はもっと滝沢を取り込む努力をしてもおかしくないと思うけど。

あとスケールはやはり小さい気がする。トレーラーの運転手が休憩するって、そりゃあ休憩は必要だろうけど、致命的な脆弱性だよな。運転手二人ずつ用意して交代で運転するくらいのことは余裕で出来たはずなのに。

爺さんが最初からボケてたというオチかと思った。いや、最後は本当にボケてたと思ったし、実は最初からというのもあり得ない話ではない。アメリカから与えられた戦後社会がダメなら、やはり同じ理由によって、誰か救世主によって与えられたやり直しもやはりダメなんじゃないかと。

もちろん、やり直し直後は一時的にうまくいくかも知れないけど、それはメモリ管理に問題のあるサーバを再起動したようなもので、何の解決にもなっていないから同じように行き詰まるはず。

おお、この例えはいいかも。スクラップアンドビルドとか言っている政治家はつまりは、サーバーの再起動を提案している訳だよ。それは一時しのぎにはなっても解決にはならないし、何度も再起動をしなければならなくなる。いや、うまく再起動するという保証すらないのだ。再起動過程で止まってしまって二度と起動しないという可能性もあるのだから。

まあ、なんだか分かんないけど、滝沢朗だけは異常なまでに好感のもてるキャラなのである。

遊びのローカルルール

おっさんの昔話。

子供のころ田舎の集落に住んでいた。隣の集落との間には田圃があるような田舎である。そうすると石蹴りとか缶蹴りとかの遊びでも集落ごとにルールが異なり、初めて他所の集落まで出かけて遊んだ時には随分と戸惑ったものである。

しかし、その集落ではそれがルールなのだから、「へんなのー」と言うことは出来ても他所の集落のルールを変えることは出来ない。そのルール内で作戦を立てて遊ぶしかない。

子供の遊びだけでなく、麻雀もその場その場でルールが異なる。今でも結構いろいろなルールがあるが、私が大学生の頃はもっといろいろあって、覚えているのは先輩に三連刻を主張されたことである。古役というやつ。お前の見ているその本に載っていると言われて、複合で三倍満の振込になってしまった。

麻雀といえば、昔、NTT本社の仕事をNTTソフト(データではない)が受けていてそこに派遣で行っていたけれどNTTソフトの社員ということに一応なっていたときに、NTT本社の人との雑談で麻雀の話になって、盛り上がったところで、NTTにはローカルルールがあったような気がした思ったが、それが何か思い出せずにその話題になったらヤバイと焦ったことがあった。

まあ、そうは言ってもローカルルールはローカルルールと認識した上で、それに従って遊ぶしかない。

b.hatena.ne.jp

このネタは上記ブコメに書いたけど、ちょっと書き足りない気がしたので追記したものである。親と教師が対立すると子供は結構苦しい立場になるので、それはその学校のローカルルールだよという風に対応できたら少しは楽ではないかと思う。

しかしながら、日本国内では国内法は強力なルールなので、ブラック会社の社内のローカルルールによって上書きされることはないという点は注意する必要がある。