泥棒バーニイシリーズは基本的にはニューヨークが舞台なのだが、今回は例外でイギリス風の邸宅での話。例外なのはそこだけではなく、今回は泥棒を依頼されたわけではなくて、自分でターゲットを決めて盗みを働いているイギリス風のミステリのように始まる。有名な「嵐の山荘」ってやつですな。クリスティの「ねずみとり」と「そして誰もいなくなった」を足して二で割ったような、と作中でキャロリンも言っている。
でもこのシリーズはパズルミステリーではないし、作者のローレンス・ブロックもパズルミステリーの作者ではないので、事件捜査の途中でバーニイは、こんなの私のやり方ではないということで、本来の捜査方法、つまり部屋に勝手に忍び込むという方法での捜査に戻る。チャンドラーのパズルミステリー批判なんかも引用しつつ。
しかし、最後のオチは私にとっては強烈であった。レイモンド・チャンドラーを読んでいないし、読んでも気づかなかったかも知れないが、「大いなる眠り」にそんな逸話があったとは。そうすると、ずいぶん前に私が読んで憤慨した清涼院流水のネタもチャンドラーの逸話に基づいたものだったということか。まあ、チャンドラーはパズルミステリーじゃなくて、清涼院流水はパズルミステリーを装っておいてわざとやったわけだから、罪の重さは違うと思うけれど。
話は変わるが、嵐の山荘で電話線が切られた時に、私なんかは切られた電話線をつなげればいいと思うのだが、そういう話にならないのはなんでなんだろう。そりゃあ、電話線じゃなくて光ケーブルとかだったら簡単には繋げないと思うけど、電話線なら同じ色の線を繋げばそれで済むのではないかと。ゴム手袋して作業する必要があるにしても。