ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

雑記:将来の夢という概念

アニメ「夢喰いメリー」を見ていたら、夜見る夢の話かと思っていたのに、将来の夢みたいなことも絡んできて、いやいや、夜見る夢と将来の夢はぜんぜん違うだろうと思ったのである。

で、検索してみたら、

gogen-allguide.com

 「夢が「将来の希望」の意味で使われ始めたのは近代以降である」と書かれている。そりゃそうだよ。身分制社会では将来なりたい職業なんていう概念が存在しないはずだ。

まあせいぜいあっても、部屋住みの三男が「どこかに養子にいけたらいいな」と思うくらいだろう。次男だと「兄上死なないかな」になってしまうけど。百姓だともう職業とか将来とかではなく「飯を腹いっぱい食いたい」みたいなことを思っていたはずだ。

おっと、そういや「お嫁さんになりたい」は嫁不足の江戸は別として、女の子の希望としてはあったかも知れない。「働き者の嫁になりたい」はいかにもありそうな希望だ。もちろん、身分の上がる玉の輿願望もあったと思うけど。

いやいや「相撲取りになりたい」は町民や農民の願望としてあったかも知れない。農民が相撲取りになる例があったかどうか知らないが。身分制の例外としてスポーツ選手になるというのは昔からの将来の希望だった可能性はある。それも村で一番相撲が強いとかいう条件を満たした場合だけに持てる希望だろう。

商人は店を大きくしたいとか、番頭が暖簾分けで店を出したいという願望はあっても、それは今の身分のまま少し上にあがりたいという願望であって、平のサラリーマンが係長になりたいという程度のものだろう。あまり希望があるようには思えない。(なので、俺は島耕作が出世していくのが希望のないサラリーマンのささやかな願望のように思えて悲しい)

ああ、武士の将来の希望で最大のものは「仇を討ちたい」だろうな。仇がいる場合に限るが。

むしろ「なぜ小学校なんかで「将来の夢、なりたい職業」を子供に尋ねるようになったのか」ということの方が謎である。なんか、企業のキャンペーンのような気がする。「将来なりたい職業」はソニー生命保険のアンケート調査か

格差が固定している(ことがバレつつある)現代において、将来の夢などという概念がいつまで存続するか、私は疑問に思うのである。職業は選べるというか、入社する会社は選べるけど、会社を選べるということにどれほどの希望が見出だせるだろうか。

そして最初に武士の例を出したように、身分制社会で希望を持てないのは下の身分のものだけではない。いい例が、天皇の長男に生まれたら、将来の職業なんてものになんの選択の余地もないのである。身分が固定している現在では天皇という例外だけでなく、保守系政治家の長男だって政治家になるしか道はないのだ。ないのだ、ないのだ。他の道に進むと言っても親はともかく後援会が絶対に許さない。世間がどんなに二世三世、四世、五世議員を批判しても、後援会には勝てないのである。もっとも親が引退する前に芸能人とかになってしまえば芸能人特権で逃げられる可能性がほんの少しあるが。男の兄弟がいれば代役という道も少しあるが。基本的には選択の余地はないのである。そして町長の家系に生まれたら町長になるしかないのである。革新系の政治家の場合は、そもそも親がいつ落選してもおかしくないので、長男が後を継ぐというところまでいかないのが幸いである。

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