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ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

名人・達人は楽しそうに物事をなす

すごく楽しそうなんですよ。たとえば、ジャズの演奏とか、ダンスとか。そういうのは、見せるものだからというようにも考えられるけど、それだけじゃなくてノッてるってのもあると思うし。

昔、テレビを持っていた頃、時々見ていた絵画教室みたいなのも、先生が絵をすごく楽しそうに描いていて、それを見ているだけでも楽しくなってきたものだ。料理番組なんかでも、実に楽しそうに料理しているではないか。

そういうのはみんなテレビ収録のために笑顔を作っているとも考えられるけど、どうも私の印象では本当に楽しいのではないかという気がする。

ジャグリングなんかでも、なんというのかなぁ、難しい技を見せられるよりも楽しそうにジャグリングしているところ見た方が楽しい。

もちろん、楽々とこなしているからと言って、練習していないという訳ではないと思う。名人はもちろん常人以上の厳しい練習をしているはずなのだ。だが、その練習も楽しんでやっているのではないかという気がする。もちろん、我々は練習を見る機会はないのでなんとも言えないのだが、本番の時だけ笑顔を作ると、ぎごちない笑顔になるのではないかと思う。まあ、ショーで見せるなら練習の時から笑顔の練習もしているという可能性もあるが。

楽しんで練習できるというのが名人・達人になるために必要な才能なのではないかと思うのである。苦しい練習を楽しんでするという才能。で、これに関して私が思うのは、(本来の意味の)ハッカーというのもそういうところがあって、難しいプログラムを楽しんで考える人たちなんじゃないかと。で、そういうのは、なにか中国の老荘思想あたりに適当な逸話なり、成語なりがあるような気がしたのだが、残念ながら思いつくものがない。「功夫」にも近いものがあると思うんだけど、楽しんでいる感じがあまりしない。論語には「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者にに如かず」ってあるそうで、これも近いんだけど、私の感覚としてはちょい違う気がする。なんていうか「困難を楽しむ」っていう感じなんだけど。

で、そういうのは根性論の対極にあって、本人にも観客にも楽しいばかりなのだが、一つだけ問題がある。

あまり楽々とやっているように見えるので、表面だけ真似するものが現れるということである。名人がすごく簡単そうに楽々とやっていることを真似して失敗するというのは、昔は漫画のネタによくあったものである。たぶん、落語にもあるような気がする。真似している本人は名人のようにやっているつもりなのですごく気持ちが良いのである。ジャイアンリサイタルのようなもの。

なんというか、私自身にもそういうところがあって、この文章も適当に楽しみながら書いているが、それが自己満足の域をでていないことはほぼ確実であろう。まあ、ジャイアンリサイタルと違って、読者は途中でつまらんと言って読むのを止めればいいわけだが。

という言い訳をした上で書くと、意識高い系(笑)のブログなんかも、そういう傾向があるのではないかと思うのである。意識高い系(笑)自体がそうかも。我々がほとんど目にしない本物の意識高い人、その言動の表面だけを真似して本人はうまくやっているつもりだが、他人が見るとブザマなモノマネになってしまっているのではないだろうか。さらに困ったことに、そのブザマなモノマネをモノマネと見抜けずに、さらにそのモノマネをするという連鎖まで発生しているのではないか、というように思う今日このごろである。

 

名人伝

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論語 (岩波文庫 青202-1)

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