アニメを見てから、漫画を読んで、またアニメを見た。
漫画は白黒なので、最初漫画を読んだ時は浪のうさぎも鉛筆で描いたのかと思ったけど、よく見たら筆で描いていた。でもアニメの方がずっと絵筆で描いた感じがする。
なんというか、漫画のとおりに、そして背景などはより詳しくアニメにしている。でも漫画にしかないエピソードもあって、それでも非常に漫画に忠実にアニメにしているという気がした。
そして二度目のアニメを見ると、絵に色がついていることにあらためて気がついたりする。そして漫画のとおりだと確認しながら見てしまうわけだが、アニメにないエピソードもいつの間にか見過ごしたかというような印象を持った。
たいていのアニメ化は原作を越えられないのだが、この作品について言えば、アニメはよい。そして原作もよい。どちらも素晴らしい。アニメにはアニメ化によって付け加えられた良さがあり、原作にはマンガならではの表現とアニメで削られたエピソードがある。
さて、これは空爆の話なのであるが、SFファン的には空爆といえば、スローターハウス5のドレスデン爆撃である。ヴォネガットはドレスデン爆撃の無意味さ、味方に爆撃された不条理さを強く感じてスローターハウス5を書いたようだが、呉爆撃はドレスデン爆撃に比べれば爆撃自体の目的ははっきりしている。だからといって空爆された側が納得するかというとそんなことはない。
この作品を鑑賞したあとでは、その点でヴォネガットの視点はまだ甘かったのではないかと思うのである。外国人が兵役で行った外国で味方に爆撃されたという不条理と、ある国でふつうに生活していて爆撃されたということにどれだけの違いがあるだろうか。
また、この作品は原作が漫画であり、ユーモアがある。それは主にすずさんの性格によるものだけれど、単に抜けているだけの女性ではなくて、生活に根ざしたところに笑いがある。その辺もヴォネガットのユーモアとは違うけれども決して劣らないユーモアになっている。
そうすると、ヴォネガットのユーモアやSF的な視点は、やはり男性のものではないかと思えてくる。この作品はそうではない、まあ、俺としてはヴォネガット越えたと思えるけれど、単純に女性的ということでもないと思う。なんというか、社会を変えるよりもその時の社会に従って生きるしかない人々の立場というのだろうか。
スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,伊藤典夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/12/31
- メディア: 文庫
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空爆のSFというと、ロンドン空襲を扱ったコニー・ウィリスの「ブラックアウト」もあり、あれも主人公が女性なのだが、これまた違うものである。まあ、違うのは当たり前と言えば当たり前だけど。ウィリスはエンタメ色が強いし、そして何より、どちらも読者は戦争の結果を知っているが、その結果が日本とイギリスでは逆だから。
というわけで「この世界の片隅に」は世界的な傑作なのである。