ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

考察:天国は一人にひとつずつある

アブラハムの宗教ってのがある。ユダヤ教キリスト教イスラム教で、一応同じ神を崇めているということになっている。唯一神だから、違う神となるとこれは紛争間違いなしなので、同じ神でないと困る。でも、少なくともキリスト教の天国とイスラム教の天国はかなり違うようだ。イスラム教の天国は北欧神話ヴァルハラに近い気がする。

同じ神なのに違う天国とはおかしいではないか。この問題を考えた結果、私が辿り着いた答えが「天国は一人にひとつずつある」という考えである。たくさんの天国の中にはもちろん似た天国もあり、思想の近い人は似た天国に行くだろう。そして、キリスト教の天国とされるところは、神父なり牧師なり宣教師なりが行くような似たいくつかの天国の共通イメージだと考える。

だいたいある人にとっての天国は別の人には地獄であるという見方ができる。ある人のユートピアは別の人のディストピア。もちろん、天国でひとりぼっちということはなくて、その人の天国にはその人にとって都合のよい人たちが住んでいるが、その人たちは、気付かれないように出来ているものの実際にはNPCのような存在である。(生前の)友人たちと仲良く暮らす天国と思っても、実は友人たちはNPC。でも全知全能の神様のすることだから、NPCと気付かれることはない。

というようなことを考えると、異世界転生異世界というのは、やはり転生者にとっての天国であると考えられる。なにしろ、連中は死んでいるわけだし。転生者にとって実に都合よく作られているし、転生者ごとに(物語ごとに)違う異世界になっているし。

これで都合が悪いのは、天国とは違うが、仏教の浄土である。俺の理解だと、浄土というのは如来などが統治する国。つまり、優れた統治者と国民のいる国なので、一人にひとつという訳には行かない。阿弥陀如来NPCにするわけにはいかないからである(神は遍在するので天国がたくさんあってもそれぞれにおなじ神が存在できる。全能ってすばらしい)。でも、浄土は最終到達点ではなく、涅槃こそが最終到達点なので、涅槃は一人にひとつあるとすれば問題ない。問題ないはずだ。

え、黄泉の国? 黄泉の国は理想郷ではないので、一人ひとりの理想が一致しないという問題は発生しない。