ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

非哲学的考察:差別感情はどこから来るのか?

なんかミステリの短編を読んでいたら嫌な気持になったので、作者名とイヤミスでググったら、やはりイヤミス系統の作品を書いている作者だった。あんまりイヤミス読んでいないので、他の作者はどうだか知らないけど、差別的な嫌な感情を引き起こされた。

そこで考えてみたのだが、「差別感情」はどこから来るのかということである。性善説、性悪説、中立説と人間の生まれつきについての説があるわけだが、俺のなんとなく感じた印象では、イヤミスというのは誰もが持っている悪い性質を表に出してくるという文学的な側面を持つミステリではないかと思うのである。違うかも知れないが。

で、おれがそのイヤミスを読んで感じた嫌な感じというのは、俺の内部にある差別感情を指摘されたことによる嫌な感じだったのかと考えたわけだ。しかし、どうも違うような気がするのである。自分が聖人君子だと主張する訳ではないが、このイヤミスを読んで感じた嫌な感じというのは、ネットでよく見る差別発言などを思い出して嫌な気分になったという方が近い。自分の内面の差別感情に嫌な思いをしたというよりも、作者の差別感情に嫌な思いをしたという気がする。

そこで考えたのだが、差別感情はどこから来るのかということである。性善説ならば、生まれた時は純粋で後から環境によって差別感情が生まれることになる。性悪説ならば生まれながらにして、他人を差別するような感情があり、しつけによってそういう感情を表に出さないようになるということだろう。

だが性善説、性悪説の「善と悪」という分け方が、社会によって異なるものであると俺は思うのである。なので俺は中立説、というか俺的な中立説を採りたい。生まれたばかりの人間は社会性がなく、成長過程で社会性を身に付けていく。子供はその社会が何を善とし、何を悪とするかということを学んでいく、あるいは社会が子供に教えていくのだ。

社会といっても、家族から学校教育、子供集団、ネットのエコーチェンバーなど様々なところから、何が善で何が悪なのかという考えについて影響を受けて個人が成長(いい意味ばかりではない)していく。

その中で、人によっては「外国人は悪」という価値観を形成するし、人によっては「犯罪者は悪」という価値観を形成する。また別の人は「差別は悪」という価値観を形成する。

いま、言いたいことは、そのことではなく、「すべての人の心に共通して存在する悪のようなものはない」ということである。イヤミスが見せつけてくるものはそうではなく、単純に作者の持つ嫌な感情なのではないかと思うのだ。イヤミス作者は自身の持つ嫌な感情を人類共通の嫌な感情であるがごとくに描いているのではないだろうか。まあ、イヤミスに限らず文学全般かも知れないけど。

サムネ用の本。この本は読んでない。「論語」と「韓非子」は読んだ。「韓非子」は性悪説というより、論理的な思想だと思った。