ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

妄言:確率は人によって違う

もう自分で考えていて、これはおかしい、妄想・妄言だと思うのだが、確率は人によって違うという結論が出たので、妄言として披露したい。

きっかけは例のモンティ・ホール問題 - Wikipedia である。で、妄言なのでモンティ・ホール問題について詳しくは触れないが、要は情報が増えることで、確率が変わるということだと思う。

これはそんなに不思議なことではない。お馬さんの好きな方々だって、血統とかいろいろ情報を集めて確率を上げようとしているわけだ。

(この本読んでないので、お勧めするわけではない。ブログのサムネになるように貼っただけ)

ところが、持っている情報というのは人によって異なる。したがって、確率はその人の持っている情報の違いを反映して、人によって異なる。という結論になる。

モンティ・ホール問題の変形を考えると、例えばプレイヤーが二人(AとB)いて(更に二人が同じ扉を当たりとして選んだとして)、司会者は残りのハズレの扉を開けるのではなくて、二人のうち一人(A)にだけ、こっそりハズレの扉を教えるとする。そうすると、司会者がハズレとしなかった方の扉が当たりの確率はAにとっては2/3であり、Bにとっては1/3ということになる。

ほら、人によって確率が違うじゃないですか。

「サイコロで1の目が連続で5回出たとき、次に1の目が出る確率は?」という問題がある。これは問題として不完全でどういうサイコロかということを指定しなければならない。カイジの地下帝国で手作りのサイコロなのか、学校教材用のサイコロなのか。それともゲーム用のサイコロか。

ともあれ、その特定のサイコロ、その日初めて見て触ったその特定のサイコロを投げたら5回連続で1が出たとしたら、次も1が出る確率が高いと考えていいはずだ。

「同じように確からしい」という確率の勉強で引っかかる人は引っかかる用語がある。これは、サイコロなら、出る目が偏っているという情報がないという意味だと俺は思うのである。情報がない状態で等確率。しかし、サイコロを投げる度に、情報が増えていく。5回連続で1が出た後では、最初の状態よりも情報が多いのであり、その増えた情報に基づいて確率を考えるべきである。

これに対して、「5回連続で1が出たとしても1の出る確率は変わらない」と考える人もいる。そういう人の持っている情報とは学校の確率の授業で教わった知識である。あるいは現代の工業製品の均質性を信じているか。

使っている情報、知識が異なる二人が違う確率を出すのは当然である。

そうすると、モンティ・ホール問題で、いろいろな人が違った結論を出すのも不思議ではない。確率は人によって違うのだ。

この問題を更にアクロバティックに変形すると、シュレディンガーの猫の生死の重ね合わせ状態を1:1ではなく、2:1とか1:2とかに調整して、その重ね合わせ方が知っている情報に応じて観測者により異なるということも考えられるだろう。ある観測者は生と死が2:1で重ね合わせられてると思い、別の観測者は秘密の情報によって生と死が1:2で重ね合わせられてると思うという具合である。