この本は私としてはお勧めできない。
原書出版当時の動物行動学的な知見をユクスキュルが独自の観念でまとめて紹介しようと試みた本。
ユクスキュルの独自の観念に基づく独自の用語が多数出てくるが、現在において一般的ではない。つまり学術的には認められなかったということだろう。単に用語が認められなかったのではなく、ユクスキュルの独自の生物観が、現代の生物学では認められていないのだろうと私は思う。
「環境」と対立する用語として「環世界」という言葉をユクスキュルは用いているが、これはある生物から見た主観的な環境という意味で、客観的な「環境」とは異なるという。
「環世界」だけでなく、「歩尺」など多くの独自用語が登場するだけでなく、「故郷」という独自用語も登場するが、これは我々の言うところの「縄張り」と同一の概念を別の用語で表したようである(誤訳ではないと思われる)。
また、この本の中には多くの図があるが、その図も私から見ると疑わしいものである。口絵カラーの図29,30,31はそれぞれ人間にとっての部屋、犬にとっての部屋、ハエにとっての部屋という説明がついているが、色が違うだけで輪郭は同じである。一方、図19(ウニの環境と環世界)では輪郭も変わっている。そもそもこの図30は犬は嗅覚主体だから認識している世界が違うという意味ではない。
しかし、ユクスキュルにもよいところはあって、それは人間が生物の一種であると認識していることである。
序章が一番難解というか、動物行動学の入門書として見ると意味不明なのだが、序章の主張は哲学的であって、生物機械論の否定である。これは人間が生物であるということを認める立場の哲学者ならば、人間が機械ではないということを主張するために必要となる主張である。
動物の感覚器官や運動機関は機械的に作用するが、その背後には機械操作係が存在するというのがユクスキュルの主張である。俺に言わせれば、これは神による創造説をIDと言い換えたように、魂を機械操作係と言い換えたようなものだ。
というわけで、私はユクスキュルに否定的である。ユクスキュルの哲学に賛成するかどうかはともかく、この本は動物学の入門書として読むには、あまりにもユクスキュルの独自思想にあふれている。
