まだ第1部しか読んでいないのだが、ともかく情報量が多いので最後まで読み終った頃には第1部の感想を忘れている可能性が高い。そこで第1部だけで感想を書いておく。(ネタの水増し)
まず、私が熱力学の本を読もうと思ったのは、量子論のプランク定数の絡みで熱力学もある程度ちゃんとやった方がいいかなと思ったのと、高校で勉強した熱力学って化学だっけ物理だっけと思ったら、どうも両方でちょっとずつやったようだ。化学の方は結構問題が解けたけど、物理の方の熱力学はよく分からんという印象がある。
しかし、熱力学の第1法則はエネルギー保存則である。これはもう熱力学に限定しないで、物理学の第1法則って言ってもいいんじゃないか思うくらいだ。そうすると熱力学ってエネルギー保存則から始まって量子論に繋がるすごく重要な分野だということになる。
さらに本の内容に関係ないことを先に書いておくと、この本ではガリレオのことをガリレイと書いてある。まあ、姓だからガリレイと書く方が他の科学者の呼び方と整合性がある。でも何か違和感があるが。ついでに更に関係ないことを書くと、熱力学の研究者の名前がボイルっていうのも出来過ぎな名前ではないか。
第1部 物質理論と力学的還元主義
まずはガリレイの温度計の話から。これは現在お洒落な雑貨屋で売っている「ガリレオの温度計」とは異なり、ちくま文庫版1巻の表紙に描かれているようなものである。気体の膨張を利用して温度を測るものだ。この温度計を利用して(ガリレオの友人の)サグレドは夏の最高の気温を360度、雪の温度を100度、雪と塩の混合物の温度を0度に決めた。現代人からは奇異に思えるが、これが熱現象の定量化の始まりであった。
というところから、定量化以前の定性的熱現象理解ということでアリストテレスの火、空気、水、土の四元素説というか、四元素を構成している性質の熱、冷、乾、湿説を紹介している。火は熱乾、空気は熱湿、水は冷湿、土は冷乾の性質の組み合わせになっている。更に著者はアリストテレスの論理学がこのような定性的な(質的な)現象理解と結びついて長期間支配的であったのだろうと言っている。アリストテレスの論理学(命題論理)は「Aまたはnot A」(排中律)などがあるが、対立する性質の組み合わせを論じるのに都合が良いのである。
フランシス・ベーコンが熱運動論の創始者にように言われることがあるが、著者はそうではない、ベーコンはアリストテレス的な議論、質的な熱の理解から踏み出していないという。
ガリレイの熱に対する考えは、火の粒子の運動というものであった。これも私のような現代人からすると変わっている。これは熱素説と分子運動説の折衷案のようなものだが、折衷案が先に出てくるというも変なものだ。これはどうも激しく燃える炎が盛んに運動しているという観測によるものらしい。
ガリレイに影響を受けたガッサンディは「熱の原子」というものを考えた。さらに「冷の原子」というものも考えたようだ。今から考えるとおかしいけれど、電気現象には実際に「電子」が存在しているのだから、発想それ自体がおかしいとは言えないだろう。ガッサンディは更に「熱の原子」が閉じこめられた状態で潜在的な熱となるというように、潜熱概念の先触れのようなことも言っている。
さらには、デカルトも「火の元素」を考えたという。
ボイル登場。名前が書いてないけど、ロバート・ボイル。化学の父。機械論者だが、デカルトのような観念的機械論ではなく、経験的機械論者である。経験というか実験重視ということである。
そして何と、以前の部分で「熱素」などの概念の出現を予想させていたのにもかかわらず、ボイルはいきなりほぼ正解を言い当ててしまう。微視的な粒子の無秩序な運動としての熱運動という考えを出してしまうのだ。特別な「熱」の粒子なしである。
ここでいきなり「通常ボイルの法則と呼ばれている定温での気体の体積と圧力の関係を最初に提案したのは実はボイルではない」と書かれている。R.タウンレイが提唱した仮説のようだ。フックもボイルに先駆けて確認していたらしい。ボイルはフックと協力して実験で確認し論文にしたということのようだ。この実験がこの本には詳しく書かれている。高校生でも分かるよい実験である。しかも、圧力が大気圧以上の場合と大気圧以下の場合の二つの実験がされているのも素晴らしい。更に素晴らしいのは、この実験のデータが論文に記載されていることである。その部分の写真も掲載されているが、このように実験の測定値を論文に表示したのはボイルが最初らしい。
この空気の圧力(空気のバネ)の原因として羊の毛のような小さなバネ粒子を考えていたようだ。ただし、この考えでは前に出た「熱」の粒子なしの熱概念とはずれるのだが。
そしてニュートン登場。
ニュートンは気体の圧力の原因として、粒子の斥力を考えた。そして粒子間の斥力を仮定した計算でボイルの法則を数学的に導き出すのである。
しかし、著者によるとこの計算は粒子の運動をまったく考慮していない静的な気体モデルであるとのこと。
この気体の圧力を斥力で説明するか、粒子の衝突で説明するかという違いはのちの熱素説と熱運動説の違いになっていく。
その前に、引力と斥力についての章が入る。
ニュートンの自然哲学のプログラムは、「さまざまな運動の現象から自然界のいろいろな力を研究すること、そして次にそれらの力から他の現象を説明論証すること」であった。
一方、遠隔作用という考えは、デカルト主義者とライプニッツから批判され、18世紀に入っても大陸は重力を認めようとはしなかった。ってそうだったのか。
スティーブン・ヘールズはあまり注目されていなかったニュートンの斥力の概念に注目し、引力と斥力があるから物質が安定して存在していると考えた。
「ニュートン哲学の数学を用いない解説の達人」と評されたデザギュリエは、固体・液体・気体が同一物質の異なる結合状態で、その結合状態の変化が物理的変化(相転移)であるという認識を持っていた。
しかし、蒸発のメカニズムを考える際に、粒子間の力が距離によって斥力-引力-斥力と変化すると考えた。この考え方は18世紀のボスコヴィッチでは粒子間の引力と斥力が距離によって何度も入れ替わる複雑な関数となる。
それはさておき、空気中の音速を力学的に導出するという問題を初めて考え、それに解法を与えたのがニュートンである。この本にはその数式が書かれているが、最終的に空気の密度と圧力で音速を表すことが出来る。
しかし、計算結果は実測値に合わなかった(小さかった)。
ニュートンの話はまだ続いて、第1部最終章ではニュートンのエーテル論が紹介される。
重力は遠隔作用として知られているので、エーテル論とは矛盾するのだが、「何人ものニュートンがいた」とか「ニュートンは常に二つの貌を持っていた」と言われるように、一筋縄では行かないのである。
なおこの章では「ニュートンのエーテル論」と「デカルトの宇宙流体」の違いも説明されている。
疲れたのでここ(第1部末84ページ)まで。今読んでるこの現代数学社版って第6部547ページまであるんだが。