昔、現代日本から平安時代風の異世界に転移したおたく男がいた。東下りの後で、なんとか宮中に仕事を得ることが出来た。これで立派な貴族、殿上人または雲上人である。
男は調子に乗って、宮中で働いている女と付き合い始めた。
しかし、宮中の仕事は男にとって甘くなかった。なにしろ、文書が全部漢文なのである。読めない書けない訳が分からない。漢字だって、印刷された楷書体とは随分と形が違ってとにかく読めないのである。
友人たちの協力を得ながら、男は一日中漢文の勉強をした。頭の中で漢文がぐちゃぐちゃと蠢いているような感覚だった。その結果、女とは遠ざかってしまった。
女は男が宮中にいるのに、女のことを無視しているようなので歌を詠んだ。
天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから
空の遠く高いところにある雲のように、あなたはよそよそしくなってしまいましたね。それでも私の目にはあなたが見えるのに。(あなたの目には私が見えないようですね)
男は歌を返した。
天雲のよそにのみして経ることはわがゐる山の風はやみなり
空の雲のようによそよそしくして時間が経ってしまったのは、私の仕事(勉強)が嵐のように忙しいからです。
勉強の甲斐あって、男はなんとか漢文の読み書きがこなせるようになった。公文書特有のパターンが分かってきたからである。使われる漢字も文法も数は限られていた。漢文の文学作品は読めないけれど、宮廷で使われる文書ならなんとか読み書き出来るようになったのだ。