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雑記:主人公が子どもである理由その2

ブクマされた増田を見ての俺の雑記、またはたわごとその2。

anond.hatelabo.jp子どもというは、性成熟していない状態のことであるとしよう。つまり、次世代を生む状態にない個体は子どもである。社会的な意味も含めると、中高生は子どもであるというのが社会一般の認識であろう。

生物の集団がその集団を維持するためには、性成熟に達する個体の割合が親の世代と同じだけ必要である。多くの生物は親の世代よりも多くの子を生み、生まれた子の一部だけが性成熟に達する。

しかし、現代の人間少なくとも日本人では、親の世代の数よりも性成熟に達する次世代の数が少ない。少産少死戦略では、子どもの死を減らすことが重要であり、実際に子どもの死は悲劇として描かれる。

エンタメとしては、悲劇性を暗示した方がよりドラマティックであり、読者の感情を揺さぶれる。そのため、簡単に死にそうな子どもを主役にすると、ドラマが盛り上がるのである。

それと同時に、現代社会において少産少死化が進んだため、子どもは死なない奇跡が起こって助かるという幻想が共有されている。子どもの不死性が信じられているのである。いやほんと、そうでなければ日本のような極端な少産少死社会は成り立たないのである(成り立ってないとも言えるが)

死ねば悲劇だが、不死性があるというのは、まさに主役の条件として最適である。

と同時に、子どもは死にやすいという古い?常識も健在である。子どもが死にやすいことを前提にしなければ、子どもの死を減らすことは難しい。

したがって、質問者のように、なぜ子どもを戦わせるのかというような疑問が出てくることも当然なのである。

大正時代の話なら、出生率が高かったので子どもはうじゃうじゃいて死んでも惜しくない戦力だったからという解釈も可能であろう(いや、だけど、紛れもなく現代のエンタメだし)。

 

江戸の算数〈3〉ねずみ算・盗人算ほか

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  • 作者:西田 知己
  • 発売日: 2011/03/01
  • メディア: 大型本