ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

考察:十二国記の食料事情

図書館で借りて十二国記を読んでいる愛(と金)のない読者である。この文章は十二国記ファンの気分を害する可能性がそこそこ高いのでファンの方は読まないほうがよいであろう。また、この文章は十二国記ファンでないと理解できない部分があるので、ファンでない方も読まないほうがよいであろう。

「白銀の墟玄の月四巻」の図書館の予約がなかなか回ってこないのと話が進まないので、いろいろ考えてみた。これまでの話を完全に読みこなしているなんてことはないので、読み間違いもあろうが、気にしないで考察する。

中華風ファンタジーである十二国記(の世界)においては、というかファンタジー全般において、農業生産力はあまり高くないと思われる。化学肥料も農薬もトラクターもないのだから。基本的には人力、畜力による農耕である。魔法がある世界だと魔法で成長促進や病気治療という可能性はある。十二国記でも天に祈って新品種を得ることが出来る。

で、十二国記では国民は成人すると農耕用の土地を与えられる。その土地は一人が真面目に働けば食うのに困ることはないだけの食料を生産できる。それならば十二国記の住民は困窮することはないはずだが、物語の中ではいつも住民が困窮しているようである。いつもは言い過ぎかも。ともかく「白銀の墟玄の月」の住民は困窮している。政治が悪いのもあるが、舞台となる戴国が寒い国だというのも関係している。

しかし寒い国だろうと暖かい国だろうと、真面目に働けば食うに困ることはないだけの土地が与えられるのではないだろうか。寒くて凍え死ぬことはあっても飢えて死ぬことはないはずである。

よく考えてみる。まず土地を与えられるといってもこれは貸与であってその人の財産となり子孫に残せるものではないはずだ。生きている間使っても良い土地と考えられる。いや、むしろ、そこを耕して税として作物を納めろと指定された土地という方がふさわしいのではないか。税を収めた残りは耕作者が食料にして良い。

十二国記には自らは耕作しない人が存在するので、その人の分を別の人が耕作しなければならない。そういう人の典型は役人であり、役人の食料は税として収められると考えることができる。役人の数はそこそこ多い。これは中華風ファンタジーではありがちというか、道教の世界感として官僚が多いようだ。

更に十二国記では戸籍の管理が徹底している。それは子供の数の管理のために戸籍を使っているからである。読んでいない人は知らないだろうが、十二国記では赤ん坊は木に成る。その国に戸籍のある成人男女が祈ることによって赤ん坊が木に成るという形で与えられるのである。これによって、成人に耕作地が貸与されることが保証される。つまり耕作地の空きがない場合は子供ができないといううまい仕組みなのである。(成人までの二十年を予知する必要があるが)

土地の割り振りは地方官僚の仕事なので、赤ん坊が生まれるかどうかの割当も地方官僚がやっているのではないかと思われる。二十年の未来予知は地方行政府には無理だと思うが。しかし未来予知をする必要はなくて、誰かが成人する年には誰か老人が死ねば辻褄は合う。もちろん、死んだあと土地を空けておいて空いた土地を割り当てるということも考えられるが、土地はそこを直接耕す人の食料だけでなく役人の食料も生み出しているのであまり土地を空けておくことは出来ないはずだ。誕生を制御するなら死を制御するのもそんなに不自然ではない。

さらに結婚したら少なくとも子供が出来たら同じ家で暮らすはずだが、そのときに耕作地が離れているとなにかと不都合なので耕作地の移転のような仕組みがあると思われる。こういう土地の交換のような作業は利害が対立してかなり難しいのでその調整にはそれなりの人手が必要であろう。また商人などは与えられた土地を人に貸したりあるいは売ったりするようである。売ると言っても貸し与えられたものだから、また貸しの借賃を一括払いみたいな形だろう。様々な土地管理の人手が必要である。

土地を貸与するのはある意味ベーシックインカムのような政策であるが、その政策の実行には役人の人手が必要でそれは税を重くする原因になる

もっとも食料は耕作地からだけ得られるというわけではなく、漁業や狩猟からも得られる。耕作地から得られる食料が最低限度の生活を保証するなら、それ以外の食料獲得手段は余分な豊かさになるだろう。ただし、十二国記には耕作しないのに里木から生まれてくる人たち(黄朱の民)がいるのでその分は差し引かねばならない。大雑把だが狩猟採集で得られる食料分が、黄海の里木から生まれてくる人の分と考えていいのではないか。

漁業だが、これはそんなに盛んではないように思える。内陸河川での漁業は安全なので農閑期や農作業の合間に行われると思うが、海での船を使った漁業は板子一枚下は地獄というくらいだし、危険が多い。与えられた耕作地を耕せば食うに困ることはないのに、危険を冒す理由は乏しいと思う。それに海は他国と近いところでは他国の乱れによる妖魔出現の影響を受ける。

妖魔が出なければ食料の供給と消費は安定しているはずであり、十二国記世界のそれぞれの国は食料の輸出や輸入は少ないだろう。特産の果実とか加工食品の輸出はあるかも知れないが、飢えを補うような穀物の輸出入はないはずである。豊作の年があっても、不作の年のために備蓄してよその国には回さないはずだ。国家間の戦争がないので、戦争のための同盟もなく、王は自国の民だけ心配していればいいのだから。(他国から流れ込んでくる人を保護するかどうかはまた別の話)

さて、前置きが長かったが、戴国では宝玉が取れる。宝玉を採掘するために大勢の坑夫が使われている。この坑夫にも当然食料が必要である。宝玉は食べられないからである。戴国においては、耕作者は役人や商人の分だけでなく坑夫の分の食料も生産しなければならないのである。耕作地は人数分あるので耕しさえすれば、食料は間に合うはず。しかし、人力と畜力では1人が耕せる面積には限度があり、広い耕作地を与えられても手が回らなくなる。草むしりがおろそかになったり、適切な時期に収穫が出来なかったりするだろう。その結果、土地あたりの生産力が落ちて、食うに困らないだけの食料を生産できるはずの土地から、それだけの食料が生産できなくなる。

これが戴国の民衆が飢えている原因だと私は思うのである。宝玉がいくら高く売れようとも、食糧生産力が増えるわけではないのだ。戴国で宝玉が採れなければ、坑夫の分の食糧生産が不要で、民衆はもっと豊かな食料生活が出来るはずである。金銭的には貧しくなっても。

 

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)