アガサ・クリスティのミステリーである。ネタバレありタグを付けておこう。
発売時にすごく評判になった本だが、いままで読んだことはなかった。評判になったとはいえ、ミステリなのでネタバレは避けるような形になっていたが、そうは言っても、ははーんという形で察しがついてしまったのである。
エラリー・クイーンのドルリー・レーン系統とネタがかぶるとか。まあ、そう言ってもエラリー・クイーン以前にバロネス・オルツィもやってるわけだが、当時の私はエラリー・クイーンにハマっていたので、なんとなく読みにくかったのである。
で、今回読んでみると、そのネタはネタのひとつでしかなく、もちろんミステリー的には重要な要素であるが、この作品の中で最も重要な要素とは思えないのであった。
山田正紀が解説でネタバレを避けながら言っているのは戦争との関連であるが、ネタバレして書いてしまえば、扇動殺人である。これはエラリー・クイーンというよりも、比較的最近の作品で言えば、京極堂のライバル「世の中には不思議でないものなどないんですよ」の人ということになる。
ミステリーとして見れば、扇動者が真の犯人であり、扇動されたもの(実行犯)はある意味で被害者でもあるわけだ。そして戦争との関連で見るのは、当時の状況からしても、今の世界の状況を考えても的確であろう。扇動という行為の悪質性は、人類の悪の中でも際立った悪と言えるのではないか。
いや、私の個人的意見としては、的確というよりもまだ不足しているように思える。昨今のSNSなどネットの状況からすると、扇動した者だけでなく、扇動された者の罪も軽くはないと思えるからである。まあ、SNSの拡散では、扇動されて拡散した者は、二次的扇動者であるとも言えるが。
更に言うと、ネットの状況を見るに、最初に扇動した者と二次的扇動者の間には大きな差はないように見えるのである。これは戦争についても言えることだろう。特定の扇動者や扇動集団にすべての責任を押し付けて、その他の国民は被害者だったようなふりをすることが正しいとは思えない。
扇動された者の罪をこの作品に当てはめると、単にあの役の人が罪であるだけでなく、別の役の人の罪も問われることになる。作者の最後(に発表された)作品にふさわしい。