神鵰剣侠というのは日本での題名で、原題は「神鵰侠侶」、1巻めに題名を変えた理由が書いてあったけど、まあ、わざわざ変えるほどの理由でもない。これは「射雕英雄伝」の続編なので「神鵰」と付いているけれど、この神鵰が登場するのは3巻の終わり頃で、それもちょっと出てくるだけ、4巻の終わり頃からそこそこ出てくる。まあ、つまり原題も題名だけ付けてあまり内容は考えていなかったような印象がある。
で、これが楊過と小龍女のラブストーリーなのだが、最初の頃の楊過は悪ガキというか、悪たれというか、ろくでもないガキだし、小龍女が登場して少し訓練があって、その後恋仲になると、すれ違いの繰り返しで、昭和のメロドラマっぽいし、あまり好きになれなかった。
楊過と小龍女は絶世の美男美女ということなので、そこが気に入る人には面白いのだろう。楊過は小龍女一筋と書いてはあるけれど、もてもてのプレイボーイっぽいところがあるし。しかし、3巻あたりで、楊過が毒に侵されてからは、ずっと毒であと僅かの命という状態が4巻の終わり頃まで続く。これもまた鬱陶しい。小龍女も毒というか、まあ毒みたいな状態になるし。
でも、面白いところもあって、それは神鵰ではなくて玄鉄重剣。それまで技の変化とかいう話をずっとしていたのに、いきなり重くて切れ味の悪い剣による力技になることである。変幻自在の剣法から、力技への変化というのはなかなか面白かった。既に死んでいる人として登場した独孤求敗もいい。
5巻は、成長した郭襄がやんちゃでかわいい。そして楊過は、人が噂をするようなとんでもない侠客になっていて八面六臂の大活躍。うーむ、やはりこれは映像で見たほうが面白いってやつだろう。
まだ、続編があることはあるけど、とりあえず、ここで金庸は打ち切ろう。