ネギ式

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読書感想:数秘術大全

はぁ、厚い本だった。いや、それほどでもないか。

数秘術大全

数秘術大全

 

 これは数秘術批判の本である。だが、かなり詳しく数秘術について書かれている。

まず、ピタゴラス教団があった(この本ではピュタゴラス)。ピタゴラス教団は神秘主義的な側面があったが、ちゃんとした数学の研究もしていた。まあ、ギリシャ時代だから基本的に有理数の世界。ただし無理数の存在も認めざるをえない。

で、それとは別にゲマトリアというものがある。これはもともとはギリシャ文字での数字の表記法だという。ローマ数字はよく知られているが、それ以前だって数を表す必要性はあったわけだし、いちいち数を表す単語を書いていたのでは面倒である。ギリシャ文字で数字を表す方法としてαは1,βは2,というように9までの数を表し、次はιは10,κは20,というように十ごとに数を割り当て、その次はρは100,σは200というように割り当てるという方法である。これだと文章中に現れると混乱するという問題があるが、まあまあ簡便な数字表記法である。

後にこのゲマトリアは変質して、通常の文章中の文字を数字に変換して隠された(あるいは存在しない)意味を読み取ろうするために使われるようになる。そして聖書などから666やその他の数字を読み取るという方法に使われる。

ここで「小数の法則」というものが紹介される。これは有名な大数の法則のもじりなのだが、私の理解によると「小さな数は数が少ないので偶然の一致が避けられない」ということのようである。本文中では「小さな数をめぐってもちこまれたたくさんの要求に、十分にこたえることのできる小数などない」と記述されている。法則などないのに、法則があるように見えてしまうことがある例がいくつか示されている。

また小数の法則から導かれる系として「概数の法則」も取り上げられている。これはまあ、後ろにゼロがいくつもついた数を概数として、そういう数も多くはないので、関係ないものが同じ概数になってしまうということである。

というわけで、聖書の字句をゲマトリアによって数字に変換するとあらゆるところに同じ666や13やその倍数が隠されているように見えるというわけである。

その後、ちょっと数秘術とは離れて、あるいは数秘術の逆というべきか、詩の中に故意に数字をはめ込むという芸術(遊び?技法)があったことが書かれている。それをパラグラムという。

聖書に限らず、ゲマトリアを使えばテキストからなんでも数字を取り出すことが出来るので、文芸批評にも使える。シェイクスピアの批評としてゲマトリアを使ったものがあるという話。まあ、著者からすればデタラメだけど、私にはこれは脱構築の先駆けではないかとも思えるのだが。

そしてまた数秘術を離れて「リトモマキア」という数を使ったゲームが一時西欧社会で流行ったという話になる。11世紀から16世紀にかけて流行しその後すたれたという。これはチェスのような遊びで、コマには数字が振ってあり、その数字の関係によって相手のコマを取れる。ただし、どうも勝利条件が難しすぎるので、指し手が協力プレイをしないと達成できないのではないかと私には思えるのである。

そしてまた「数の形」という章がはさまるのだが、これこそ話の流れとほとんど関係ないように思える。

そして本命であるバリエット夫人の数秘術が紹介される。これは名前とゲマトリアによる占いである。ここで数秘術は聖書やシェイクスピアなどを離れて、個人の占いになる。名前で決まる個人の数といろいろな単語のゲマトリアでそのものや色などがその人にとってどういう意味を持ち、どう対処していくかということが決まるということ。そしてここでは、多くの占いにあてはまる要素、つまり誰が読んでも当たっていると感じるような文章が書かれているという話。

その後はピラミッドが予言になっているとかいう話やバイオリズムの話など(のいい加減さの指摘)。

いやあ、なかなか読み応えがありましたよ。

個人的には、宇宙人なり超古代文明人なりがピラミッドのようなもので何かを未来に伝えたいとしたら、正四面体を使うと思うんだよね。何しろ正多面体は5種類しかなく、その中でも正四面体は最小であり、しかも唯一の自己双対図形なのだから。

もうひとつ個人的に思うことがある。それはフィクションではしばしば古代の魔法は優れていて、現在の魔法は優れた古代の魔法を復元しようという努力の結果であるという設定が使われるが、数秘術はそれに近いところがある。つまり、ピタゴラス教団では数学が研究されていたわけだし、有理数が使われていたのに、数秘術では主に一桁の自然数の足し算が使われ、ときどき数桁の数や小さな倍数(つまりは足し算の繰り返し)が使われるくらいだからである。ピタゴラス教団の知識のほんの一部しか数秘術に伝わっていない。つまり足し算だけが伝わっているのである。足し算しか使えない現代の魔術に比べて古代の魔術は偉大であった。