ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

アニメの作画品質が高すぎる

昔からアニメを見ていたおっさんの俺からすると、今のアニメは作画の品質が高すぎる。品質よくて何が問題なんだという疑問はあるだろうが、あくまでも見る側に限って言うと、バランスが悪いということである。

昔から、アニメでは作画が一番お金がかかるところのようだ。そして昔のアニメでも音楽は素晴らしいものがあった。もちろん、本当に素晴らしいのは一部に限られるが、音楽が聞くに堪えないというような作品は思いつかない。

作画ではバンクシステムとかで枚数を削ってきたようだが、今はあまりバンクを使ってないような気がする。まあ、ロボットアニメとか魔法少女とかは使いやすいというか、むしろ変身バンクに期待するところがあるので今でも使ってはいるのだろうが。

で、比較的最近見たアニメで作画の手間を省いてうまくやっているなと思ったのは「紅殻のパンドラ」と「灰と幻想のグリムガル」である。「紅殻のパンドラ」は原作からそうだったというデフォルメが実にいい。かんたんクラりんと呼ばれるデフォルメされたキャラである。

 

紅殻のパンドラ 簡単クラりんトートバッグ

紅殻のパンドラ 簡単クラりんトートバッグ

 

 こんなやつ。これはまだデフォルメが甘く、もっとかんたんな絵もある。こうして商品にもなっているくらいなので、人気があると言えるだろう。俺も大好きである。これなら作画が楽だろう。「紅殻のパンドラ」はもっと評価されていい作品だと思う。変身バンクがエロいけど……。

灰と幻想のグリムガル」では、止め絵が長い。毎回ではないけれど、叙情的に決めるところで止め絵というか背景画にして音楽で盛り上げるのである。ゲームのエンディングのような感じだ。実際、アニメのエンディングかと思ったら、その後まだ続いて少し驚いた回もあった。

 これらに対して、シナリオはまだまだという気がするのである。もちろん優れたシナリオはあるよ。でも、ちょっとシナリオがひどいなあと思うことも多い。もちろん、制約がきついのは分かる。そもそもラノベ原作では変えられるところも少ない。原作付きでなくても、キャラを前面に出さなければならないとかいろいろ大変だとは思う。でも、シナリオは金をかけずに改善できるし、改善の余地はまだまだ十分あると思うのだ。

 まあ、企画側からそのシナリオではダメという制約があるのだろうとは思う。ビッグネームなら好き勝手やれるかも知れないが。それと、シナリオライターの養成は原画家の養成より難しいのだろう。出来る人はラノベ作家や漫画原作者になってしまうが、それらとアニメの脚本では要求される資質がかなり違うと思う。

 よい原作(売れている原作ではなくて)を持ってくるという手もある。俺が小説を読む人だからかも知れないが、やはりよい原作だとアニメのストーリーもしっかりしていると思う。でも作画枚数を抑えつつアニメならではという表現を入れたオリジナルの作品がみたい。そういうのを作れる脚本家が大勢必要だ。今のアニメ制作本数を考えると、虚淵クラスが1ダースくらい欲しいところである。

 それは無理だと思うかもしれないが、原画の方はそのくらいの状態になっていると思う。作画が突出しているのだ。ラノベじゃない売れていない娯楽小説から作家を引っ張って来て使うべきか。SF作家とか……? 作家は独善的だからシナリオには向かないというのも確かにそうなのだが、TVアニメ黎明期には日本のSF作家が結構シナリオを書いていたという歴史もあるのだ。豊田有恒とか。