ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

「人生の目的」は、人生を楽しむための手段の一つである。

ゲームには最後のボスを倒すとか、なんかそういう目的があった方が面白いけど、最後のクリアまで行かなくても、その途中のプレイが面白ければ十分楽しめる。

実をいうと、「風来のシレン外伝アスカ見参」はすごく好きなゲームなのだが、クリアしていない。だって難しいんだから。

ソシャゲは最終目的がなかったりするけど、まあ、それでもそこそこ面白いけど、結局同じことをずっと続けているだけという気がして虚しくなることもある。

人生も、目的とか、中間的な目標があった方が、それに向かって充実した生活が送れるという点は確かにあると思う。だが、途中で目的を変更したり、中間目標を達成できなかったとしても、それで人生すべてが否定されるわけではない。それは、一度負けて次に勝つという王道ルートへの変更なのだ。

というか、あれよ、人生の目的なんて人生を楽しむための手段の一つに過ぎないんだよ。仮の目的だね。本当の人生の目的はただ人生を楽しむことにあると思う。

そうなると、刹那的な快楽主義という批判を受けるわけだが、仮の目的があれば刹那的ではない。それに将来に対する不安も、現在を楽しむ上で邪魔になるので、将来の不安を減らす方向に行動する必要もある。未来のために現在があるのではなく、現在をより楽しむために、未来の不安要素を減らす努力をするという考えである。

将来の目的も、未来に対する備えも、現在を心安らかに楽しむためのものなので、不必要に過大な不安を持ったり、高すぎる目標を掲げたりする必要はない。現在の状況が経済的理由などで厳しいなら、現在の問題だけに集中して対応すればよいと思うのである。

などと適当なことをいうおっさんであった。