「ネタバレ」というのは、ネタバレを怖れる人のためのタグであって、情報を求める人にとって有用な情報が含まれているという意味ではない。
評判になっている漫画だということは知っていたが、敢えて読まないでいた。それがアニメになったが、敢えてというかその時点では定額の範囲内で見られなかったので見ていなかった。アニメの評判もよく、dアニメストアで見られることが分かったが、それでもまだ視聴にはためらいがあった。そこでネタバレを検索して内容を確認したら、大丈夫そうだったので見たのである。
タイトルから(俺にとっての)地雷臭がプンプン
漫画が評判になっていた時点で読まなかったのは、タイトルから俺にとっての地雷臭がプンプンしていたからである。それは作中で出てくる「私だけがいない街」の内容を見れば分かる。「僕だけがいない街」というタイトルから「私だけがいない街」の内容を読み取って、俺は地雷を感じたのであった。俺は虐待された児童の心理とか漫画で読みたくないよ。
じゃあ、なぜアニメを見たのかというと、ネタバレ感想を見た結果、ミステリだと思ったからであった。いや、これは失敗であった。ネタバレとあったのはミステリ部分のネタバレであり、従ってそのブログがミステリ部分中心に書かれているのは当然であった。
実のところ、怖い怖いと思っていると枯れ尾花でも幽霊に見えるというように、嫌だ嫌だと思っていると本来はそうでないもので嫌なものに見えるということはあり得るこである。思い出したくない事ばかり思い出してしまうように。そんなわけでこれ以降に書かれていることは私の妄想だと思って貰っていい。
アニメ「僕だけがいない街」は傑作である
何をもって傑作と言うかは意見が分かれるだろうが、途中から配信を一気に見たという点と泣きながら見たという点で傑作と言える。一気に見たというだけでも傑作と言うのに十分だ。これはこのあと嫌いな理由を述べるのに当たって予防策ではない。
たぶん漫画も傑作。でも嫌いだから漫画は読まないし、アニメも見返さない。
ストーリー
ネタバレタグをつけているので、この文章はストーリーを知っている人が読んでいると思う。ここに書くのはいわゆる粗筋ではなく、俺の眼で見たストーリーである。しかも、アニメを1回見ただけで嫌っている人間の見たストーリーである。
主人公は編集者からもう一歩と評価されている漫画家である。同人作家ではなく編集者のついているプロの漫画家。編集からは「もう一歩踏み込めない」と言われている。そのプロの漫画家が自身の抱えている問題を解決した結果「踏み込めた」と評価され、作品も売れるようになる。
というのがアニメのストーリーである。原作とは違う可能性が多分にある。アニメの最後ではかなり人気のある漫画家になっている。もちろん、この作品の中心部分は「漫画家が自身の抱えている問題を解決」する部分にある。
この漫画家には再上映(リバイバル)という特殊能力があり、何かの事件に遭遇するとその事件の発生前に戻り事件の発生を防ぐことが出来る。出来ると書いたが、意識で制御できるのではなく、無意識または自動的に事件の発生前に戻ってしまう。そして事件を未然に防ぐことを余儀なくされる。
この話の最後で「その後再上映は起こっていない」と言っているので、これは漫画家が再上映という特殊能力を失う話ということになる。(アニメでは最後に蝶が飛んでいるが、再上映が起こったとは思えない)
再上映能力の原因は不明だが、漫画家は子供の頃に同級生が殺されるという事件に遭遇していて「僕には防げたはず」という想いを持っていたことが関係している可能性がある。
これってさあ、事件関係者のPTSDの一種だよね。再上映って言葉をその通りに取れば、同じことがそのまま繰り返されるということで、変更可能という意味はない。PTSDとして事件を何度も思い出してしまうことを示しているように思える。つまり、ストーリーは「子供の頃に遭遇した事件のPTSDに苦しむ漫画家がPTSDを克服する話」ということになる。
俺の理解が間違っているかもしれないが、PTSDは被害者だけがなるものではなくて、感受性が高ければ周囲の人間もPTSDになる可能性は充分あると思っている。
漫画家の特殊能力によって何が解決したか
漫画家の再上映能力は過去に戻って過去を改変することが出来るので、心理的な問題ではなく実際に事件を防ぐことが出来る。では、何を防いだかというと三つの殺人事件を防いだわけだ。そして自分が被害者となる一つの殺人未遂事件を発生させた。
過去に戻った時点で既に起こっていた事件は解決していないし、犯人はその後も犯行を続けたようである。もちろん、犯行を未然に防いだ上に犯人を処罰するなんてことは本質的に不可能なことであり、完全な形で達成されることは難しい。特に主人公が子供になっている状態では非常に困難であろう。
一方、確実に成し遂げたことがあって、それは雛月加代を虐待から救ったということである。そして雛月加代が「私だけがいない街」という作文を書いたという点も重要である。この作文を読んだ人は誰であれ雛月に問題があることに気づけたはずだからである。つまり、作文を読んだ人は雛月を救うことが出来たが救えなかったという想いを持ち続けたとしても不思議はない。
子供たちの中でも小林賢也は雛月の虐待に気づいていたし、それにも拘わらず人との関わりを恐れたために助けることができないでいた。踏み出せないでいたのは小林賢也なのである。もう一度ストーリーをまとめると「子供の頃に虐待されている子供に気づいたが何も出来なかったことにその後も思い悩む漫画家がその悩みを解決する話」ということになる。
はいはい、もう完全に俺の妄想ですよ。
漫画家の悩みはどのように解決されたか
妄想はもう少し続きますよ。「私だけがいない街」という誰が見ても問題があると分かる題名の作文を「僕だけがいない街」という自己犠牲によって他者が救われるという話に置き換えることによって自分自身の感情に折り合いを付けることが出来たのではないか。
嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だと言いながら勝手に嫌な妄想をして嫌な気分になる自分が嫌で仕方がない。もっとも、俺はこういう話は嫌で嫌で大嫌いなのだが、世間にはこういう話が好きな人も多いらしい。
あ、でも傑作ですよ。泣けるし。そういう表面的な感情は先に来るんだよ。俺は後で嫌な気分になるのだ。
実写映画はもちろん見ないけど、実写に向いている話だと思う。子役次第というところはあるけれど、こういう俺の嫌いな話は日本映画に実に向いているのである。
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