タイトルで終了。
パラドックスでもないし、深いところもない。単に「真偽の決定できない文が存在する」ということで、これを否定するためには「すべての文の真偽が決定できる」ということを証明する必要がある。「真偽の決定できない文が存在する」ことはいくらでも実例があるのでなんの問題もなく証明できる。
語ること何もなし。
「決定不能ならば証明不能」も明らかなようなんだけど、これに証明の必要があるかどうかは、「証明可能」を定義しなければ分からないが、定義すれば直ちに証明不能になるはず。
曖昧な概念のない明白に論理的な文であっても「真偽を決定可能な文かどうか」を判定することが難しい。ただし、なかには明らかに決定不能という文が存在する。
曖昧な概念のない論理的な文にみえても
- 真偽が明白な文
- 難しい証明によって真偽が判定する文
- 真偽を決定することができない文
3の中には「真偽を決定できないことが明白な文」があり、2の中には「まだ証明されていない」や、ちょっとインチキな例外になるが「真だが真であると(ある枠組みの内部では)証明できない」文がある。
ともあれ、明白に決定不能な文は、明白に決定不能だから、明白に決定不能なのだ。