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ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

最強のミームのひとつについて

ミームリチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」の中で導入した概念なのだが、困ったことに、「利己的な遺伝子」の中で書かれているミームは、「ミームはよいもの」という主観の強く反映された概念である。しかし、「利己的な遺伝子」の「利己的」というのが良い意味でも悪い意味でもないように、ミームも「自己複製する情報」という点から見れば、よいとか悪いとかいう人間の価値観とは無関係に定義できる。

人類の文化がミームであるという考え方もあるが、それは対象が大きすぎて検討するのが難しい。それよりも都市伝説とか風説の流布とかの方が考えやすいだろう。たとえば、「恵方巻き」などもミームと考えられる。あるいは「江戸しぐさ」みたいなものもミームと考えていいだろう。

そんななかで、最強のミームのひとつと私が考えるものは、「煙草はかっこいい」というミームである。これは、タバコの宣伝のためにアメリカのタバコ会社が、アメリカの映画会社に金を払って喫煙シーンを映画に紛れ込ませたことに端を発する。映画の中のジェームズ・ディーンの喫煙シーンを見て、タバコを吸い始めたティーンエイジャーは多いという。今で言うところのステルスマーケティングである。

これがミームだというのは、映画をみた人がタバコを吸い始めただけでなく、喫煙シーンのあるアメリカ映画を見た日本人が後に映画監督になって「主人公かっこいい」という「記号」として映画に喫煙シーンを入れるようになったからである。もちろん、日本だけでなく世界中でそういうことが起こった。それはハンサムな映画俳優や渋い俳優などを使ってサマになる映像を作ったからだし、当初は新しさがあったからでもある。当時は商業用の量産紙巻タバコの歴史が始まったばかりであり、吸い殻を靴で踏み消したり、灰皿で吸い殻を押しつぶす動作などもまだ見慣れないものだったのだろう。

記号であっても、創作者である映画監督は様々な「カッコイイ喫煙シーン」を演出しようと努力を続けてきたし、映画を見た人たちは映画の俳優を真似て、カッコイイ煙草の吸い方を追求してきた。その一つは、確か十年くらい前に問題になった「火の着いた煙草をそのまま投げ捨てる」という「カッコイイ動作」である。元になったのが映画なのかテレビドラマなのか知らないが、真似せずにはいられないカッコよさが作品にあったのだろう。

このミームが非常に強力なのは、タバコ自体の依存性との相互作用によるものではないかと思う。その感染力の強さ故に、独自の表現を追求するはずのクリエイターが尽く、「タバコ=カッコイイ」という記号的表現に侵されてしまった。映像作家だけでなく、小説や作詞家もタバコという独自性の乏しい記号表現に侵されている。そして、そういう作品を読んだ読者も後に創作者になると、やはり通り一遍の記号的喫煙シーンを繰り返すことになるのである。こうして次々と拡散していくのがミームの特徴であるとはいうものの、「タバコ=カッコイイ」というミームミームの中でも最強のものだと思う。

さて、ドーキンスは「利己的な遺伝子」というセンセーショナルなキャッチコピーを打ち出したわけだが、それゆえに批判も多いと予想していたのだろう。「利己的な遺伝子」が強烈なショックを与えることが分かっていたから中和するために「よいミーム」という対立概念を本に入れておいたのではないだろうか。

強烈なものには別の強烈なもので対抗するしかないのかも知れない。毒をもって毒を制するというわけだ。