ネギ式

適当に生きるおっさんのブログ

アニメ感想:覆面系ノイズ

今期一番のお気に入り。

でも「正解するカド」とかよさそうなのに配信されてないという事情もある。

いや、でもいいですよ。芸術は爆発だ!って儂らの若い頃、岡本太郎がTVCMで言ってたけど、それ。暴走するヴォーカルがいい。人の話を聞かない。それどころかバンドの音も聞かない(最初のうち)。感情が溢れてきて止められない思いが声に出る。いい。

まあね、もうちょっと予算があればと思うところもあるし、世界が狭いという問題点もある(みんな同じ高校)。でも、やはり暴走するニノがいい。主人公はこうでなけりゃ。

 

 

アニメ感想:ひなこのーと

もっと演劇要素あるのかとおもったけど、そんなにはなかった。ただひたすらかわいいだけのアニメである。まあ、かわいいからいいけど。

 また、OP/EDがいい。ずっと見ていたい感じがする。

 

TVアニメ「 ひなこのーと 」オープニングテーマ「 あ・え・い・う・え・お・あお!! 」

TVアニメ「 ひなこのーと 」オープニングテーマ「 あ・え・い・う・え・お・あお!! 」

 

 

TVアニメ「 ひなこのーと 」エンディングテーマ「 かーてんこーる!!!!! 」

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あ・え・い・う・え・お・あお!!

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  • 劇団ひととせ
  • アニメ
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かーてんこーる!!!!!

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パフォーマンスが嫌いなのだった。

よく考えてみたら、私はパフォーマンスというものが嫌いなのであった。

いや、娯楽としてのパフォーマンスは好きですよ。いや、いや、いわゆる一部のユーチューバーがやるようなものが娯楽かどうかはさておいて。

パフォーマンス - Wikipedia

私が嫌いなのはハンガーストライキとかそういう類のパフォーマンスである。何に対してどういう意見を持つかということは、理性で考えて結論を導きたいのに、そうさせないで感情で結論を導くように仕向けるようなパフォーマンスというものが嫌いなのである。たとえ、そういうパフォーマンスによって社会がよくなっていくとしても。

そういうパフォーマンスをマスコミが取り上げてそれによって社会が変わることは実際にある。いくら理性に訴えかけてもまったく変わらないものが感情に訴えるパフォーマンスによって簡単に変わるのである。これは理性の敗北ではないか。私はそういうパフォーマンスによって動かされる社会が嫌いなのだ。

そして感情に訴えるパフォーマンスは、理性を飛び越えて作用するので、反ワクチン運動のようなものにも使えるのだ。そうなると大衆の感情をより大きくゆさぶった方が勝ちということになる。すでにそうなっている。

そしてなによりも大衆の感情をゆさぶるのが、敵を作ってそれを相手に戦う戦争というパフォーマンスだと、私は思うのである。

 

ヒトラーの大衆扇動術

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煽動の技術―欺瞞の予言者 (1959年) (岩波現代叢書)

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聴いて得する日本の大衆芸(1)~ストリート・パフォーマンス

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アニメ感想:エロマンガ先生

まあ、面白いっちゃ面白いんだけど。個人的にはラノベ作家が多すぎるって気がして仕方がない。世の中にはラノベ作家大勢いるんだけどさ。「俺の妹が……」の場合は、妹は天才的才能の持ち主だけど、そういう天才は一人しかいないわけだが、こっちは天才ではないにしても売れてるラノベ作家が何人も出てくるわけで、なんとなく違和感がある。まあ、そこが気になるのは俺が一応小説を書こうとする人だからなんだけど。

 

 もちろん、つまらないということはなくて、十分に水準作だとは思うけどね。

アニメ感想:アリスと蔵六

まあ、面白かった。思ったよりも面白かったような気もするし、思ったとおりに面白かったような気もする。

キャラクターとしては早苗ちゃんがいいね。ぽわっとしたところが。ラストの方の話に引きづられて忘れてたけど、戦闘シーンもけっこうあったのだ。今になっては印象薄いけど。それでいい。

 

アリスと蔵六(1) (RYU COMICS)

アリスと蔵六(1) (RYU COMICS)

 

 

アニメ感想:武装少女マキャヴェリズム

一言で言うと「格闘ツンデレハーレム」みたいな話。戦って勝てばデレるという、エロゲ的なシステム。

 私が好むようなアニメではないのだが、なんとなく最後まで見てしまった。

 

マラソンと熟考

マラソンが嫌い。

典型的な体育嫌いだからね。マラソンとか苦しいだけだと思う。それは正式なフルマラソンだけでなく、子供の頃学校でやらされた長距離走が嫌いだということである。

でも、最近は健康ブームというよりも、それ以上にこのままでは健康保険が破綻するから、国民は運動して健康を維持しなさい。健康は国民の義務であるというような空気が醸し出されつつあり、非常に鬱陶しい。

さて、ここで話が変わって、民主主義国家では国民は主権者なのでよく考えて投票しなければならないという前提がある。国民がいいかげんな投票をしたのでは、民主主義は維持できないのである。国民は選挙の際には熟考して候補者を選ばなければならない。

ところが、頭を使ってよく考えるのは苦しいのである。これはもうマラソンの苦しさにも通じる苦しさなのだ。このことに私はずっと気が付かなかったのだが、老化によって頭脳が衰えてきて初めて気づいたのである。頭を使うことは苦しいし、いくら考えても正しい結論に行き着かない感じは、ゴールのないマラソンのようで絶望的である。

考えても考えても分からず、周りの人の言っていることが全然理解できないのに、なんとか分かるのは自分の方の考えが足りないということばかりで、それは基礎体力がないように基礎力を鍛えてこなかったからということなのだが、基礎力がなくても何日もかければフルマラソンの距離を歩くことも出来るように、頑張って考え続ければ理解できるようにも思えるが、頑張って考え続けること自体が苦しいのでどうにもならない。

子供の頃にそう思わなかったことの方が不思議なのだが、まあ、子供はちょっと考えただけですぐに褒められるので、それが嬉しくて考えることの苦しさに気付かない子供になったのだろう。もし、考えた末に出した答えが間違ってると言われたり、馬鹿と罵られていたら、きっと考えることの嫌いな子供になっていたに違いない。

運動する習慣がついていれば、なんということもない運動でも、運動する習慣がなく基礎体力のない人間には苦しいばかりである。考える習慣がついていればすぐに理解できるような事柄でも、考える習慣がなく基礎学力のない人間には苦しいばかりである。

もちろん、多くの人の基礎体力が向上することは望ましいように、多くの人の基礎学力が向上することも望ましい。それは教育方法をきちんとやれば可能であるというようにも考えられる。または、きちんとやっておけば可能だったのになあ、とも思える。

 

 

新装版 集合とはなにか―はじめて学ぶ人のために (ブルーバックス)

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